易姓革命の正統性を自己主張することと前王朝がなぜ滅びたかを分析すること。それが中国のいう「歴史を鑑とする」ことである。
■黄文雄『もしもの近現代史』(扶桑社)
日本人は歴史の真実を知ることに情熱を傾ける。客観的事実、そして科学的根拠が重要であり、小説ですら時代考証を間違えたりすると、批評家から批判されることがある。
中国人は「歴史を鑑とする」のが口癖だが、その歴史には一片の客観的事実もなく、また証拠となる科学的根拠もなく、つくり話、法螺話、そしてでっち上げと過去の通史の改竄である。そのためには古文書さえ、遡って改竄するのである。その妄執的な歴史でっち上げの情熱は凄まじい。
歴史学というより庶民は想像上のつくりごと、『三国志演義』や『西遊記』が好きである。
すなわち中国では「歴史学は政治に属するから、日本のように文学部で教えるのではなく、政治学部で教える」のである。政治的判断が一等重要だからである。
本書は中国の歴史を「もし」という架空のフィクション仕立てにしたシュミレーションではなく、歴史学の碩学、黄さんがひとつの尺度をもって中国通史を論じたもので、各所に箴言が散りばめられている。
黄文雄氏は、中国史の作者らを次のように評価する。
「『史記』をはじめとする中国の正史、また『史実通鑑』がそうであるように、歴史をつくる目的は二つある。易姓革命の正統性を自己主張することと、前王朝がなぜ滅びたかを分析するためだ。いわゆる『歴史を鑑とする』ということだ」
そしてこう続ける。
「秦王朝は暴政で滅び、清王朝は腐敗で崩壊したと小中学校の歴史教科書は教えているが、それは王朝衰亡の理由としては極めて抽象的で主観的である。(中略)王朝興亡の分析は、決して科学的でなく、『教訓』という倫理的なものが殆どで、経済社会的な視野から歴史を語ることが欠落している。
また中華帝国歴代王朝の衰亡については共通の原因が多い。秦漢王朝をはじめ、たいていは農民反乱やカルト教団の反乱によって滅びるのだ。
清王朝も十八世紀末の白蓮教の乱から二十世紀初の義和団の乱に至るまで、「会匪の乱」と「教匪の乱」がえんえんと一世紀も続いた。しかし、太平天国の乱や回乱のように、王朝をゆるがす大乱が繰り返し起きても、清王朝はそれが原因で滅んだわけではなかった」。
黄氏はときに外戚や宦官が原因であり、暴君は愚君がいなかった王朝でも、国を守ることができず、しかしローマやオスマンのように、大国が滅びるのには時間がかかるのであると説かれる。
杜父魚文庫
13974 書評「もしもの近現代史」 宮崎正弘

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