本日の産経朝刊に、湯浅博解説委員が「ミュンヘンの教訓が消えた」という論説を書いている。
その湯浅氏が指摘するミュンヘンの教訓とは、一九三八年(昭和十三年)九月のミュンヘンの宥和といわれる事件で、チェコのズデーデン地方を要求するドイツのヒットラーに、英仏伊の列強が、要求を聞き入れてやれば平和が維持されるだろうと考えて宥和し、同地方をドイツに割譲したことが、かえってヒットラーの侵略衝動に火をつけて、翌年三月のドイツのチェコ全土の制圧を誘い、ひいてはポーランド侵攻による第二次世界大戦勃発の出発点となったことをいう。
このミュンヘンで宥和して帰国したイギリス首相のチェンバレンは、ヒースロー空港に集まった群衆に対し、ヒットラーの署名した合意書を振りかざして、「平和を持ち帰った」とスピーチした。しかし、彼が持ち帰ったものは「戦争」であった。
よって、ミュンヘンの教訓とは、軍備を増強する独裁者に宥和することは、かえって戦争を呼び込む、従って、平和を確保する為には、断じて独裁者に宥和するなということである。
そこで、湯浅氏は、この度のアメリカのオバマ大統領のシリア攻撃に関する優柔不断は、ロシアの介入を招き、果てはロシアとシリアの化学兵器国際管理を合意することになり、ミュンヘンの教訓が消えたと述べているのである。
一九三八年のミュンヘンの宥和は、ヒットラーのチェコさらにポーランドへの侵略を呼び寄せた。
では、この度の宥和は何を呼び寄せるのか。
湯浅氏は、「ロシアは、依然として有力な武器輸出先を確保できる。そしてロシアをけしかけた中国は『オバマ弱し』とほくそ笑んだに違いない」、「何よりも中国は、米国の失墜は『我が利益』とそろばんをはじくだろう」と述べる。
つまり、この度の宥和が勢い付かせるのはヒットラーではなく中国共産党の独裁者とイラクやアフガニスタンのテロリストだと湯浅氏は暗示している。
斯様に、「世界を主導する超大国が『弱い』とみなされることは危険が伴う。」そして、その「危険」は、東アジアの我が国に押し寄せる!
先に、本通信で私は、シリア空爆を決断したと語りながら議会の同意に下駄を預け、さらにサンクトペテルブルクのG20で、各国にお伺いをたてるオバマ大統領を「何をしておるのか」と言ったが、その結末、つまり「何をしたのか」を湯浅氏が書いてくれているのでご紹介した。
次に、ミュンヘンの教訓は、もう一つあるのでそれを書く。
湯浅氏の論考の表題、「ミュンヘンの教訓が消えた」を観たとき、まず私が思い浮かべたのは、一九三八年九月ではなく一九七二年九月のミュンヘンだった。
そして、このミュンヘンこそ、我が国もいつ何時遭遇し、この時の教訓に則って決断するかしないかが迫られかねない事態である。
事実、本年一月、アルジェリアの奥地である沙漠のイナメナスで遭遇したではないか。
もっとも、我が国の内閣は、一体、国民を救出するために、我が国は何を為すべきかを見つめず、関係各国に「人命尊重」のお願いをするのみであったが。
そして、イナメナスで、日本人十名が殺されても、我が国首相は、犯人に対し、報復するとも復讐するとも言わなかったのである。つまり我が国は国民が何をされても怒らないと犯人にサインを送ったのだ。犯人は、安心して、再び日本人をテロのターゲットにするであろう。
一九七二年九月、オリンピックが行われているミュンヘンで、武装したパレスチナ過激派の「黒い九月(ブラック セプテンバー)」がイスラエルの選手を人質にとってイスラエルが身柄を拘束しているパレスチナ人二百三十四名の釈放を要求した。
西ドイツ政府は、イスラエル政府に犯人の要求を伝えて交渉するが、イスラエルのゴルダ・メイヤ首相は、断固としてブラック・セプテンバーの要求を拒絶し、次にイスラエル軍特殊部隊が西ドイツ国内でテロリストを攻撃することを認めるよう西ドイツ政府に要求する。
そこで、そのイスラエルの要求を拒否した西ドイツとブラック・セプテンバーの銃撃戦となり、結局イスラエル選手十一名が殺害される。
この人質殺害という事態に対し、ゴルダ・メイヤ首相は、「神の怒り作戦」を発動する。それは、ブッラック・セプッテンバーの絶滅のための殺害とパレスチナ過激派への報復爆撃である。
パレスチナ過激派本拠地への爆撃は直ちに実施され、パレスチナ人二百名が殺され、対ブッラック・セプテンバー作戦は、モサドによって粘り強く続けられ、七年後の一九七九年の黒幕のサラメ殺害で集結する。この間、PLOの本拠地であるベイルートに潜入する特殊作戦が敢行されたが、これを指揮したのは後にイスラエル首相になるエフード・バラクであった。
このゴルダ・メイヤ首相による「神の怒り作戦」実施は、テロリストにイスラエル人を標的にすれば、地の果てまで追いかけてきて復讐されるという恐怖感を植え付け、以後、対イスラエル人テロを強く抑制している。
その時、ナチスのユダヤ人虐殺を経験している七十歳を越えた女性闘士ゴルダ・メイヤには、一人のユダヤ人であってもテロリストに殺されて復讐しなければ、再び全ユダヤ人が強制収容所に送られる事態の扉を開くことになるという強い危機感があった。
「ミュンヘンの宥和」の教訓も、もちろん重要な忘れてはならない教訓である。
事実、靖国に関し、尖閣に関し、中国共産党に「宥和」した結果、ますますの増長を招き寄せている我が国は、最も強く「独裁者に宥和してはならない」という教訓をこれから断固として貫かねばならない。
しかし、それ以上に私にとっては、ゴルダ・メイヤ首相の遺した「ミュンヘンの教訓」が切実である。
北朝鮮による拉致被害者救出を念じて行動しているときに、我が国の首相が、イスラエルのゴルダ・メイヤの信念のほんの一部でも持っておれば、この日本人拉致は為しえなかったものを、と幾たび思ったことだろうか。
日本の歴代首相が、一人の日本人が拉致されているのに放置することは、いずれ全日本人の人権が蹂躙される事態の扉を開くことだ、従って、地の果てまで追いかけて同胞を解放し、同時に犯人に復讐する、との信念をもちそれを実行しておれば、北朝鮮工作員は日本人拉致を実行できなかったであろう。
一九三八年と一九七二年の二つの「ミュンヘンの教訓」は、二つとも、我が国と国民にとって、切実であり死活的に重要である。
杜父魚文庫
13988 「ミュンヘン」の教訓 西村眞悟

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