14066 お江戸の七色唐辛子、上方の七味唐辛子  古澤襄

室佳之(むろ よしゆき)さんが「頂門の一針」で「古澤さんが『七色唐辛子』と書かれており、嬉しくなりました」と書いている。わが意を得た思い、”七色”唐辛子と”七味”唐辛子の由来と違いを指摘した。
いまは西友やジャスコで売っているのは七味唐辛子。七味唐辛子は唐辛子を主とした香辛料を調合した日本の調味料なのだが、もともとは上方風の呼称である。
お江戸では七色唐辛子という。東京・浅草寺門前「やげん堀(中島商店)」で売っている。名前は違っても同じではないかと言うなかれ。歴史は古く江戸時代に徳右衛門(徳兵衛)が両国薬研堀にて漢方薬を参考にして作られて江戸名物になった。
唐辛子が主な材料だが、芥子(ケシの実)、陳皮(ミカンの皮)、胡麻(ごま)、山椒(さんしょう)、麻の実(あさのみ)、紫蘇(しそ)、海苔(のり)、生姜(しょうが)、菜種(なたね)などを、客の注文によって調合してくれる。
私は山椒を多めに混ぜて貰っている。
衆院議長だった前尾繁三郎さんは政界一の「そば通」だったが、大正12年に上京して、旧制第一高等学校に入学するまでは、蕎麦の味を知らなかったと告白している。
京都から遠く離れた京都府宮津市に生まれた前尾さんは、お母さんが打ってくれる”手打ちうどん”の味しか知らなかった。それが一高に入って初めて東京の蕎麦なるものを知った。
「関西のうどんや蕎麦は、ほとんどが”かけ”であって、丼に入れて汁がかかったものだった。東京の蕎麦は原則として”盛り”であって、せいろうに盛ってあり、汁をつけて食う」
「関西のうどんや蕎麦の汁は、淡口醤油を使う薄味なのに、東京の蕎麦汁は濃口醤油を使って味が濃厚である」
前尾邸に夜回りをかけると、蕎麦談義がいつまでも続く。「一高時代は貧乏書生だったので、唯一の食道楽が本郷あたりの蕎麦の食べ歩きだった」という。
これだけなら単なる蕎麦好きなのだが、「蕎麦の味は、蕎麦そのもの味と、汁の味と、薬味の味の三拍子が揃わないといけない」と言うに及んで、私も前尾さんが政界一の「そば通」と認めざるを得なかった。
何よりも薬味の味、つまりは七色唐辛子のことを知っていた。昭和26年から日麺連顧問、続いて名誉会長を10年以上もやっていた。
お江戸の蕎麦話のついでに信州の蕎麦も詳しかった。「木曽福島の蕎麦はつなぎに良い自然薯を使っているので、蕎麦そのものの味は非常に上手い。それに較べて長野の蕎麦そのものは木曽より劣るが、汁は東京とほとんど変わらない」・・・結論は木曽の野趣がいいのか、長野の雅味がいいのか、と政治家らしく甲乙をつけずに逃げた。
私は木曽も長野も食べたが、善光寺前の蕎麦に軍配をあげる。善光寺門前の「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子は、”味”の方だが、浅草の七色唐辛子と変わらない。
一枚の写真がある。漫画家・杉浦幸雄さんの妻・富子が結婚前のもの(左端)。叔母の富子さんは長野市の木村歯科医院の次女、母とは従姉妹同士。当然のことながら、善光寺門前の蕎麦と唐辛子で育ったといえる。
古沢家 062.jpg
杜父魚文庫

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