14139 ワシントンの機能不全で浮上する国際的な火種   古澤襄

オバマ大統領は9月30日、自分の周りで政府が閉鎖の準備をする中で、米国の最も重要な同盟国の一つ、イスラエルのネタニヤフ首相と会談していた。今週末にはアジア4カ国への歴訪出発を予定している。
政府と大統領とのこのようなちぐはぐな動きに対し、不快ながら重要な疑問が投げかけられている。つまり、慢性的になったワシントンの機能不全は、同盟諸国の米国への信頼をむしばまないだろうか?そして米国と敵対する国々は米国のこうした機能マヒに乗じることができるといつ判断するだろうか――という疑問だ。
現状をあるがままに見よう。自国政府の資金繰りができるか、また借金を返済できるかどうか確かではない超大国、しかも対シリア軍事行動への大統領のイニシアチブに議会の与野党議員が消極的な超大国は、その意思を海外で貫けるような立場にはいないのだ。
たとえ現在の予算のこう着状態が解消されたとしても、当惑を禁じ得ない米国の自己統治上の混乱によって、世界は既に何らかの影響を感じ始めている。金融市場は30日、おおむね下落した。政府機能閉鎖の見通しと、米国が数週間後には合意不成立でデフォルト(債務不履行)というそれよりもはるかに恐ろしい見通しが響いた。英紙タイムズはこうした米国の全体の動きについて、「無責任な瀬戸際戦術であり、しかも世界経済が米国の指導力を必要としている時にそんな状態なのだ」と論じた。
政府閉鎖の実際的な影響は、海外でも同様に感じられるだろう。例えばビザ発給を求める外国人は不運な目にあうかもしれない。またオバマ大統領のアジア訪問に先だって環太平洋連携協定(TPP)交渉の合意を目指している各国交渉担当者は傍観を強いられる恐れがある。
こうした実際的で一時的な影響以上に心配なのは、ワシントンを舞台にした現在のコミックオペラの結末いかんにかかわらず、米国の信用度や信頼性全体に対する広範な疑問が最近くすぶり始めていることだ。ワシントン・モニュメント(記念塔)を開放したままにできるような予算案について大統領と議会が合意できなければ、諸外国は、海外のはるかに難しい課題の解決に向け米政府が団結すると想像できるだろうか。
例えば、シリアの化学兵器利用を罰しようとするオバマ大統領への支持に米議会が消極的なのを受けて、イスラエルのネタニヤフ首相は、米政府はイランの核プログラムを抑制するため軍事行動をちらつかせた威嚇をイランに加えられるだろうかといぶかしく思っているに違いない。
逆に、就任したばかりのイランのロウハニ大統領は、核プログラム廃棄の外交合意に達した場合でも、オバマ大統領が対イラン経済制裁を廃止すべきだと議会を説得できるだろうかと不安に思うに違いない。
もっと厄介な人物がどう考えているかも懸念される。シリアのアサド大統領は、主としてロシアの説得によって、保有する化学兵器を放棄する国際的なプランを受け入れた。だが、彼は今、これまでより安堵感を抱いているかもしれない。ワシントンでの対立の結果、予見できる将来、米国からの軍事攻撃にさらされない公算が大きくなったことが分かったからだ。
そして、北朝鮮の少年のような支配者、金正恩第1書記は、精緻な政治分析を実施する能力があるかどうか疑わしい人物で、自ら所有する大量破壊兵器(核兵器)に対する米国からの脅威についてどう結論するか、神のみぞ知る状態なのだ。少なくとも、ワシントンをめぐる疑問は、誤算リスクを高めている。
友好国の間でさえ、今年のワシントンの政治ショーの結末は、良いことのはずがない。オバマ政権は欧州においてと同じく、アジアにおいてもTPPという大きな新貿易協定交渉で合意しようと努力している。だが、交渉がまとまった場合でも、このようなホワイトハウスがこのような議会を説得して果たして複雑な合意条件を批准させられる、と友好国の指導者たちは信じるだろうか。
しばらくの間、アナリストたちは、米国の経済的な困難と、その債務・財政赤字問題のせいで、世界の舞台で期待された主導的な役割を果たす米政府の能力がそがれると懸念してきた。米外交問題評議会(CFR)のリチャード・ハース会長は最近、このテーマに関する著書「Foreign Policy Begins at Home: The Case for Putting America’s House in Order(仮題:外交政策は自国から始まる:米国の家の中をきちんと整理する)」を出版した。しかしその種の議論はおおむね、ワシントンが財政赤字の重大性をちゃんと理解せず、そのため、米国を経済的に活力ある世界大国に維持するのに必要な研究・インフラ投資を実施できないでいると言及するにとどまっている。
だが、現時点で、こうした主として経済的な諸問題は複雑化している。予算を通過させることをはじめとして最も基本的な機能すら遂行できない政治システムの無能力さのためだ。米国が国内問題や争点に気をとられていることと、そうした問題や争点によって機能不全に陥るのとは別問題だ。それが、海外で見え始めている光景に違いない。
過去における米国内の混乱期でさえ、米国の統治システムの基本的な能力は無傷のままと思われていたし、政争は水際でとどまるだろう(訳注:Politics should end at water’s edge=トルーマンなどが使って広がった言い回し)という少なくとも若干の展望が存在していた。統治機能不全と政治的二極化という現在の雰囲気の中で、いずれの状況(無傷の統治システム、あるいは政争決着の展望)も、今なお当てはまるかどうか疑問に感じるべき理由があるのだ。(米ウォール・ストリート・ジャーナル)>
杜父魚文庫

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