■賃上げを求め、200の繊維工場が閉鎖措置
バングラデシュの首都はダッカ。1971年にパキスタンと戦争(それまでの国名は東パキスタン)、独立を達成し、ラーマン初代大統領は亡命先のロンドンから凱旋した。直後、ラーマンは日本にも援助をもらいにやってきた。しかし新政権も腐敗が絶えず、75年のクーデターでラーマンは殺害され、以後軍事政権が続いた。
貧困の印象しかないバングラデシュは人口が1億5500万人、日本の面積の四割しかない狭い国土のかなりの部分が湿地帯で、洪水による被害は毎年恒例、印度沖地震では20万人が死んだといわれる。
世界一の人口密度である。あまりの貧困に目を背けたくなるが、農業から軽工業への離陸につとめ、GDP成長率は6%以上。
バングラデシュの主要産業は繊維、アパレル製造。全輸出の80%が繊維によるもので、ミシン女工だけで200万人、およそ半分が中国企業である。
日本企業はユニクロくらいで、あとはホンダのオートバイ組み立て工場、照明器具工場くらい、バングラへの援助は日本が最高、しかし進出ならびに投資は中国が日本の八倍。そのうえチッタゴンからダッカへの幹線道路の拡張工事も中国企業が殆どを請け負っている。
日本企業がとなりのミャンマーへ進出ブームだが、バングラデシュに見向きもしない。理由はなにか。治安の悪さ、工業インフラの未整備による停電。工業団地造成の遅れなどである。要するに電力が安定的に確保できない地域には効率的生産が不可能だが、中国は停電も、冷房をいれず手動ミシンで女工をこきつかうノウハウがある。日本企業はそういう乱暴な時代からとうに脱却しているため、進出をためらうのである。
九月末に賃上げを求めた女工らが街頭に飛び出し、道路を封鎖、ついに警官隊が出動し、催涙弾を発射した。このため工場地帯は無秩序な混乱に陥り、200の工場が暫時閉鎖措置をとった。大規模な女工の労働争議ははじめてである。
放火されたニット工場、アパレル工場もあり、H&Mやカルフール向けの繊維製品を製造していた。
原因は賃上げであり、女工の給料は月給わずか38ドル、中国のアパレル工場でも平均は180ドル以上だから世界一安い労賃ということになる。
この賃金の安さに目を付けたのが中国の繊維産業で、すでに十年も前から大々的にバングラデシュへ進出し、およそ100万人を雇用した。ただし、一日十一時間から十二時間も働かせ、あげくに月給が38ドルでは女工とて、とても暮らせない。
抗議行動は偶発的におこり、労働組合を組織していない企業で暴れ出したため、警官隊の出動に至ったが、彼女らの要求は最低月給100ドル。ちなみにバングラデシュより安い賃金はミャンマーである。
2013年4月にダッカの雑居ビルが倒壊し、1100名もの死者がでる大惨事があったが、多くがミシン工場で犠牲者は女工さんたちだった。直後から労働法改正、最低賃金法などの議論が活発化し、賃上げへの社会傾向は明らかだった。
杜父魚文庫
14175 バングラデシュで繊維女工らが暴力的抗議行動にでた 宮崎正弘
宮崎正弘
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