14320 世間を天としている文化   加瀬英明

<朝晩、秋の気配が近くなった。
蟋蟀(こおろぎ)、鈴虫といえば、秋の季題だが、都心のわが家の小さな庭でも、夏の季題の一つとなっている風鈴を仕舞い込むと、秋虫の声が聞こえてくる。
 
新酒も、秋の季題だ。「すずむしの宴(うたげ)」といえば、『源氏物語』のなかに、鈴虫の声に興じながら、酒盛りをするところがでてくる。「鈴虫」は源氏第38帖の巻名だが、「鈴虫のふり出せたるほどはなやかにおかし」「こよひはすずむしのえんにて明かしてんとおぼしめ給う」と、記されている。
私は秋虫の声をさかなに、妻に酌をさせて、秋宵を楽しむ。すずむしの宴だ。「おかし」は心がひかれる、風流という意味だが、宵と醉いが重なるのがおかしい。
宴(うたげ)には東西を問わず、古来から歌曲がつきものであってきた。古語で「さかな」は、酒席の興を添える歌や、座談をいった。
私は日劇の徳間音響の舞台や、10チャンネルの『題名のない音楽会』で歌ったことがある。日劇の時には、島倉お千代さんが大きな花束を、届けてくれた。永遠の憧れの女性だ。
音楽によっては、喉の渇きを癒すことも、腹を充たすこともできない。それにもかかわらず、人は文字を知る前から、歌曲によって慰められてきた。
私はつきあいがよいので、しばしばカラオケを歌う。歌は演歌がよい。
演歌は、日本の男や女にとって、ついこのあいだまで、溜め息のようなものだった。日本のどこへ行っても、演歌の心が空気のなかに、まるで微粒子のように飛びかっていた。
私は美空ひばりのショーを、観たことがあった。美空さんのステージをはじめて観たが、〃日本一の歌の女王〃といわれるだけあって、さすがに堂々としていた。
第1部は着物姿で、第2部はイブニングを着ていた。緞帳(どんちょう)があがると、舞台が深い青い照明のなかに、浮かび上がる。
ギターの爪弾(つまび)きが始まって、『悲しい酒』の前奏だとわかると、いっせいに拍手が起こる。ひばりが立っている。すぐに歌わずに、語りはじめる。
  淋しさを忘れるために、飲んでいるのに
  酒は今夜も、私を悲しくさせる
それから歌に入る。「胸の悩み」「酔えば悲しく」「飲んで泣く」「一人ぽっち」「心の裏で泣く」「泣いて怨んで::」
あの時代の日本人だったら、心を揺さぶられずにいられない。歌から歌の合間に、ひばりが自分の言葉を使って、聴衆に語りかける。
劇場をいっぱいに埋めた聴衆のなかから、「ひばりちゃん!」という威勢のよい声が、舞台へ向かって飛ぶ。私には教えられるところが、多かった。
 
ひばりが「これまで、私の人生を振り返ってみると、楽しかったことは、片手で数えるほども、ありませんでした。悲しく、つらいことばかりでした。悲しかったことを数えたら、きっと手がいくらあっても、足(た)りないでしよう。
でも、ひばりは負けません。ひばりは頑張ります」というと、聴衆はステージに立ったひばりに、完全に感情移入してしまう。いっせいに手をたたく。
ショーが終わりに近づくにしたがって、テンポの速い曲を歌って、舞台を盛り上げてゆく。喝采が続く。
ひばりが、「みなさんも頑張ってください。ひばりも、一所懸命に頑張ります」と、呼びかけると、場内がもう割れんばかりの喝采で、沸きたった。私も、感動した。
日本人にとっては、もう長いあいだ、つらいことや、苦しいことは、あたり前のことであってきた。耐えることが、自然の状態だった。それが、男や女の魅力を増した。
私は演歌に親しんだ世代の尻尾(しっぽ)のほうに、属している。
昭和46(1971)年といえば、いまから42年前でしかない。この年に、鶴田浩二が歌った『男』という演歌がヒットした。
前奏が始まる前に、独白(かたり)がある。
   子供の頃、祖母(そぼ)に、よく言われました。
  『お前、大きくなったらなんになる、なんになろうと構わないが、世間様に笑われないような良(よ)い道を見つけて歩い   ておくれ』って::
   それが、胸に突き刺さるのでございます」
そのうえで、歌が始まる。
   自分の道は 自分で探す 
   つまづきよろけた その時は 
   見つけた道の たまり水 
   はねる瞼(まぶた)に 忍(にん)の字を書いて
   涙を くいとめるのさ
このような祖母は、日本のどこにもいた。いまでもカラオケで、この歌を青春時代を懐(なつ)かしんでうたう人が、少くない。
私はこの歌を聞くたびに、歌の上手下手にかまわずに、感動する。私たちはそう意識することがなくても、瞼(まぶた)にそっと忍の字を書いて、譲り合って生きてきたのだ。
私たちは神や仏だけでなく、親や上司や、人々による引き立てだけでなく、世間のお蔭(かげ)をこうむって、生きているのだ。世間(せけん)をあたかも神のように畏(おそ)れて、敬った。
世間を天としている文化は、世界のなかで日本だけだ。すばらしいではないか。
若者は、私たちの世代と別世界に生きているというが、いまでも若者まで「‥‥紹介させていただきます」とか、「参加させていただきました」「つくらせていただきました」と、「‥‥いただきます」を連発する。これは、外国にまったくない表現である。
自分の力だけではなく、世間に「させていただいた」ことに、胸のなかで感謝しているのだ。
 
この国に生まれて、本当によかったと思う。>
杜父魚文庫

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