中国が北京駐在の外国人記者のビザ申請を却下する圧力をかけるのは周知のことだが、古森義久さんによるとロイターが標的にされているという。北京にいなくても中国報道は出来るのだが、最近のロイター報道は遠慮会釈なく中国の暗部を突いている。
その例としてJohn Foley氏の「期待外れの中国三中全会、”あいまいさ”がポイントか」は、まさに痛烈な習近平政権批判。
鳴り物入りの「中国三中全会」だったが、みるべき新政策は皆無といえよう。こんなコラムがポンポン飛び出す様では中国政府も面白かろう筈がない。
しかし中国共産党政権の病弊は伝えられる以上に深刻である。John Foley氏は「実際、中国の指導部は改革を口にしながらも、まるで共産党の外部にいる人間のことは何も考慮していないかのようだ。 まさにそれが今回の三中全会における”肝”の部分かもしれない」と指摘してはばからない。
批判なきところに進歩はないが、いまの中国は批判を圧殺して国内の不満を抑え込むことに汲々としている。そんな手法がいつまで続くのであろうか。
<[北京 12日 ロイター BREAKINGVIEWS]中国共産党の第18期中央委員会第3回全体会議(三中全会)が12日に打ち出した前途有望な数々の政策案は、退屈な言い回しにくるまれている。それでも重要なメッセージは存在する。それは大幅な経済改革は実現するかもしれないが、政治を取り仕切るのは引き続き共産党内の人間に限られるということだ。
向こう10年間の政策の青写真となる三中全会の決定は、想像可能なあらゆる改革に言及しているが、詳細な内容はほとんど見当たらない。法の支配、農民の財産権強化、環境資源のより有効な利用、税制改革などはいずれも単に並べて見せたという域を出ない。改革を監視する作業部会の創設と、資源配分で市場に「決定的な」役割を果たさせると表明したことだけが、かろうじて具体性を体現したといえる。
また事前に示唆されていたよりも踏み込みはずっと甘かった。政府系シンクタンクの国務院発展研究センターが公表していた「383プラン」(三位一体の改革構想、8つの重点改革分野、3つの関連改革の略称)では、国営企業やサービス部門の改革が求められていたものの、そうした点の詳細を知る手掛かりは乏しい。
しかしあいまいさこそが重要なポイントなのかもしれない。1993年の中央委全体会議では、当時の江沢民国家主席が「社会主義市場経済」というよくわからない定義を唱えて、多くの専門家を困惑させた。だがこの定義の下で、あらゆる非社会主義的な変革が成し遂げられ、世界貿易機関(WTO)加盟への道のりをたどった。
はっきりしているのは、共産党が政治過程の抜本的な見直しにはほとんど興味を持っていないということだ。12日夕のニュースに映し出されたのは、いつもながら仏頂面をしたスーツ姿の男性陣だった。1992年に最高指導者だったトウ小平氏が上海などを視察して幅広い経済改革の支持を国民に訴える「南方講話」を発表したのとはあまりにも対照的だ。
外国の資本家にとっても手に入るべき果実はほとんどない。投資目標は定められず、テクノロジーや銀行、医療業界において外資100%を認めるなどの市場開放も約束されていない。
「公的セクター」の支配的な地位は維持されるとみられる。実際、中国の指導部は改革を口にしながらも、まるで共産党の外部にいる人間のことは何も考慮していないかのようだ。 まさにそれが今回の三中全会における「肝」の部分かもしれない。
●背景となるニュース
*中国共産党の第18期中央委員会第3回全体会議(三中全会)は12日、今後10年間の改革案として資源配分において市場に「決定的な」役割を果たさせることや、改革実行を監視する統括チームの創設などを打ち出した声明を発表して閉幕した。声明は、中国独自の社会主義の下での包括的な改革を深化させていく必要性を訴えている。
*改革の中身としては所得配分の見直しや環境保護、法の支配の促進などが挙げられ、企業や資産に関する所有形態の多様化も求めている。一方で、国営企業の「主導的役割」を強調し、財政や金融面の改革にも言及している。
*都市部と農村部の改革には特に注目が集まった。農民には一層の財産権を付与するとともに、都市と農村の住民がともに経済発展の恩恵を享受しやすくする仕組みを推進すると表明した。(ロイター)
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