昭和14(1939)年にヨーロッパで第2次大戦が勃発したために、在留邦人家族の引き揚げが始まり、父を残して、ロンドンから母に連れられて、船で帰国した。私は3歳だった。
私の幼い時の記憶のほとんどが、どこまでも煌(きらめ)く海と、船尾にはためく日の丸、甲板でデッキチェアに寝そべったり、輪投げをする大人たちといったものだ。
そんなことから帰国すると、地図に興味をもった。親が地図を見せて、私が辿った道を教えたためだろう。5歳になる直前に、日本も大戦に突入したが、わが軍が目覚ましい勢いで、香港、シンガポールとつぎつぎと占領してゆくと、地図になじんでいたので、従兄弟たちや遊び友達を驚かせた。
私は地図を遊び友達として育った。長じてから、国際政治を生業(なりわい)とするようになったのも、幼児体験によって手引きされたのだろう。
30代はじめに近くの古道具屋で、地球儀を売っていたので、思いたって求めた。
しばらく眺めてから、亡妻に縫い糸を持ってこさせた。日本の最北端の北方領土から、最南端の島まで計ってから、糸の一端を長崎に当てて、東南アジアの方へ伸ばしてみた。もう一端が、バングラデシュを越えて、インドに入った。
■日本列島の長さが土地をこえて存在を生む
日本列島は長い。フランスは、面積が日本の1.3倍ほどある。ドイツが日本と似たものだが、ヨーロッパ諸語には、桜前線とか、紅葉(もみじ)前線という言葉がない。花がほぼいっせいに咲くし、同じころに紅葉する。
日本では開花前線が北へ登り、紅葉は降りてくる。地方ごとに、ちがう季節のうつろいがある。
私はこの原稿を、11月の米子で書いている。市内に山隠地方でもっとも高い、標高1700メートル以上の大山(だいせん)がある。紅葉黄葉の盛りで、目を楽しませる。
米子は8回目だった。大山の紅葉に初雪が降ったのを、しばらく前に観たことがあったが、まるで仙境のように美しかった。
日本は海岸線が長い。日本の海は排他的経済水域を含めると、世界で6番目に広い。私は海上保安庁の政策顧問をつとめているが、この広大な海を僅か1万2千人の海上保安官によって、守っている。警視庁をとれば、4万4千人の警察官を擁している。巡視船と海上保安官を、急いで倍増しなければならない。
地球儀を糸で計った話に戻ると、私はアフリカ大陸が大きいのに、あらためて驚いた。アフリカ大陸のもっとも幅があるところにあてて、ロンドンからアジアの方へ伸ばすと、北京まで届く。大陸を縦に北から南まで糸をあてて、太平洋に移すと、横浜から太平洋をひと跨(また)ぎして、サンフランシスコに届く。
しばらく前にある経営者の会合で、四国で世界地図を出版している、松岡功氏と知り合った。松山で予備校と学習塾を30年経営していたが、第3世界で井戸を掘ることに熱中するようになって、仕事をたたんで、井戸掘りの資金稼ぎと、子どもたちの教育のために、世界地図の出版社を立ち上げた。なかなかの好男子だ。
■生き甲斐は魅力を生む
生き甲斐を見つけた男には、魅力がある。女は夫と子を生命(いのち)とすべきだ。
地図は国別に色分けしたものが、もっとも多い。あるいは、地形、土壌、気候、動植物、宗教、言語の分布や、経済成長率と所得格差、歴史上の勢力圏の盛衰など、おびただしい種類にのぼる地図が作られている。
松岡氏の地図は、各国それぞれの民族衣装と、その国の言葉で「コンニチワ」「ハロー」「ニーハウ」を何というのかとか、最近、世界のどこで巨大天災が発生したか、地球温暖化とか、子どもたちが世界に関心をもつように、さまざまな工夫を凝らしている。
地図はほとんどが、メルカトル図法によっている。16世紀のヨーロッパではじめて作られたが、メルカトル図法による世界地図は平面なので、大きな欠陥がある。陸地であれ、海であれ、緯度が高くなるにつれて歪んで、拡大してゆくことだ。赤道の近くにあるニューギリア島は面積が日本の2倍、マダガスカル島は日本の1.5倍あるのに、日本列島より小さくなってしまう。地球儀のほうが忠実だ。
私は松岡氏に東京を起点として、世界の各地まで何キロ離れているか、距離が分かる地図をつくる知恵をつけた。このような地図は、私が知るかぎり世界に存在しない。ほどなくして、見事な地図ができあがった。松岡氏が実用新案を申請して、取得した。
■地図の実用新案が真を開花させた
これまで熊本日日新聞、新潟日報、愛媛新聞、北海道新聞などの多くの地方紙から、販促用にまとまった部数の注文を受けている。起点を県庁所在地に置き変えて、つくることができる。私は海外へ出かけるたびに、この地図を重宝しているが、たとえば東京からホノルルは6千キロ、アテネまでなら1万8千キロある。
はじめの2紙は、私が20代から連載を寄稿したことがあって、なつかしい。私は謝礼のかわりに、この地図をいつでも貰えることになっている。
地理は人類が同質でないことを、教えてくれる。地図を見ることによって、それぞれの民族性と力を形成している、隠れた手を知ることができる。地理こそ、人の鋳型なのだ。
エジプトは4千年も前から、広大な砂漠によって守られて、ナイル河が動脈となって潤したから、古代の支配国家となった。チベットはインドと隣接し、インドから仏教を取り入れたから、今でも中国化することに抵抗している。
なぜ、アフリカは昔から貧しかったのだろうか? アフリカ大陸はヨーロッパの5倍もあるのに、サハラ砂漠以南の海岸線の延長となると、4分の1しかない。東岸を除けば、良好な港湾がない。深い密林や、砂漠によって遮断されてきたために、外界と交わることが難しかった。
アメリカが外交の土台に理想主義をすえて、世界に介入するのは、アメリカが2つの広大な海によって守られている島国であるからだ。アメリカの理想主義は、しばしばというよりも、いつも独善的で、無駄なお節介をやく。もし、ヨーロッパのように力がある国々が犇めいていたとすれば、現実から遊離した理想主義によって憑かれることがなかった。
両岸を外濠である大きな海によって、外界から隔てられているから、周期的に介入主義と孤立主義の間をいったりきたりする。いま、アメリカは孤立主義に戻りつつある。
■インターネットの情報は利用されても活用はこれから
地図は人類が分裂して、対立しあっていることを教えている。インターネットや、ジェット旅客機や、大陸間弾道弾が登場したからといって、この事実は変わらない。世界はグローバル化によって統合されることがなく、かえって距離が圧縮されたために、いっそう危険になっている。
私は長じてから、仕事で世界を訪れるようになった。セルバンテスの『ドンキ・ホーテ』を読んだが、そのなかに「世界を旅して、疲労、灼熱、酷寒、餓え、渇きに苦しむよりも、地図のうえで想像の旅をしたほうがよい」という、戒めがでてくる。セルバンテスは17世紀はじめに没したが、各地を旅して、トルコ軍の虜囚となるなど苦労した。
私はもっともだと思う。日本のように麗しい国に住んでいたら、できるだけ国内に留っていたい。
米子の皆生(かいけ)温泉の宿で貰った地図をひろげたら、パプリック街、トムソーヤ牧場、フォーゲルパーク、大山ガーデンプレイス、水木しげるロードとか、外国語が多いのに興醒めした。しかし、日本の神祇には海のかなたから来た夷神(えびすかみ)が多く、人々に幸いをもたらしてくれると信じてきたことを思った。だが、海外は地図のうえで楽しむだけにしたい。
杜父魚文庫
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