■故ファン・ジャンヨプ元書記は張氏を評価
張成沢氏は、「金日成(キム・イルソン)主席の婿」として権力の中枢に入り、「天下の万古逆賊」「極悪な反逆者」として生涯を終えた。北朝鮮は、死刑判決文の中で、張成沢氏を「党と革命、人民のかたき」「犬にも劣る醜悪な人間のクズ」と呼んだ。
しかし、故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は、張成沢氏について「北朝鮮を改革・開放に導く上で最適の人物」「合理的で信頼できる人間」と評価していた。ファン元書記は2002年、経済視察団として韓国を訪れた張成沢氏に、北朝鮮の改革・開放のためのアイデアをしたためたメモを渡そうとしていたという。
■北朝鮮の政権ナンバー2から「天下の逆賊」へ
張成沢氏は咸鏡北道清津で生まれ、金日成総合大学を卒業した。1972年に故・金正日(キム・ジョンイル)総書記の妹、金敬姫(キム・ギョンヒ)氏と結婚し、出世街道を歩んだ。
張成沢氏の高い身長、端正な顔立ちと豪放な性格、そしてダンス・歌・楽器演奏の腕前に心ひかれた金敬姫氏の方から言い寄ったのだという。張成沢氏は86年に最高人民会議代議員(国会議員に相当)となり、88年には朝鮮労働党青少年事業部長を務め、権力の中枢に入り込んだ。95年には党の最高組織に挙げられる組織指導部の第1副部長に就任し、勢いに乗った。
金正日総書記からは、幾度もけん制された。2004年には側近の豪華な結婚式に出席したことで「派閥形成」の疑いをかけられ、左遷された。しかしわずか3年で、司法・検察機関をまとめる朝鮮労働党行政部長として復活した。
2011年に金正日総書記が死去すると、張成沢氏は金正恩(キム・ジョンウン)氏の「後見人」の座に上った。昨年1月、金正恩氏は党の主な幹部の前で、張成沢氏を「誰よりも近い革命の同志」と紹介した。その後「張成沢氏は、金正恩氏に報告される主な文書を共有している」という話も出た。昨年7月に北朝鮮軍のトップ、李英浩(リ・ヨンホ)総参謀長が粛清されると「事実上、金正恩・張成沢共同政権」という声まで聞かれるようになった。
張成沢氏の「ナンバー2」という立場に異変の兆しが現れたのは、昨年末からだったという分析もある。北朝鮮の事情に詳しい消息筋は「張成沢氏は昨年11月、党行政部長のポストを退いた」と語った。張成沢氏に権力が集中していることを受け、金正恩氏がけん制を始めたというわけだ。張成沢氏は昨年、金正恩氏の公の活動に106回随行したが、今年に入ってからは52回に減っていた。
今月8日、北朝鮮は張成沢氏を全ての職責から退かせ、称号を剥奪(はくだつ)し、朝鮮労働党から除名した。張成沢氏が制服姿の要員によって、党政治局会議の議場から連行される写真も公開した。こうして政治的に粛清されてから4日後の今月12日、張成沢氏は死刑の宣告を受け、直ちに処刑された。
■ファン・ジャンヨプ氏「北朝鮮を改革・開放に導く適任者」
張成沢氏は、1997年に韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元労働党書記と格別な縁のある人物だった。
ファン元書記の息子と張成沢氏のめいが結婚しており、二人は親類同士だった。ファン元書記は、亡命した自分に付いてきた側近たちの前で、張成沢氏について「今後、北朝鮮を改革・開放に導く上で最適の人物」と評価したという。「現在の北朝鮮権力層の中では、最も合理的かつ信頼できる」「金正日後の北朝鮮を統治する人物として、最も望ましい」「無理なく北朝鮮を引っ張っていく人物」とも語っていた。
02年に張成沢氏が経済視察団として韓国を訪れた際、ファン元書記は、北朝鮮の改革・開放に向けたアイデアをしたためたメモを、有力政治家などを通じて張成沢氏に渡そうとしていたという。ファン元書記の側近の1人は「中国が毛沢東時代からトウ小平時代に移っていったように、北朝鮮を導ける人物として張成沢氏が最も優れていると判断し、接触を試みたようだ」と語った。しかしファン元書記のメモは、最終的には張成沢氏に届けられなかったという。(韓国・朝鮮日報)>
杜父魚文庫
14879 改革・開放の人物 張成沢氏を処刑 古澤襄

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