特定秘密保護法案も衆参両院で圧倒的多数により可決されました。民主主義、主権在民、議会制国家のわが日本において、これ以上に正当な手続きはないでしょう。
しかし朝日新聞はなおその国民が選んだ国会の判断や決定に反対を唱え、公器たる新聞の「客観性」や「政治的中立」をかなぐり捨て、デマゴーグ的なキャンペーンに狂奔しています。この法案に賛成する人は多いのに、その点を無視、さらにもっと重大な点として賛成の意見や論拠を紙面でまったく取り上げないのです。
そんな朝日新聞に対して佐瀬昌盛氏が疑問を呈しています。ついでに毎日新聞もその対象に含めています。
自分たちと意見を異にする相手には反対や批判や誹謗までの限りを尽くす朝日新聞は自分たちへの批判にはいつも「知らぬ顔の半兵衛」です。この品のない表現は実は私がかつて記者として働いた毎日新聞の先輩記者が紙面で使っているのをみて、こんな手垢のついた言葉が現代の新聞で許されるのかといぶかった記憶があります。そんな表現はいまの朝日新聞の態度の描写にはまさにふさわしいと思います。
朝日新聞さんも、正面からの自分たちへの批判や質問はたまには答えてほしいですね。「公器」なのだから。
【正論】「60年安保」夢見た秘密保護反対 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛
特定秘密保護法をめぐっては与野党間でも、政府・与党と言論機関の間でも複雑な攻防戦が展開された。「複雑な」という意味は、そのいずれでも明快な正面 激突戦が見られなかった点にある。民主党の戦法は衆院と参院で違った。
ブレなかったのは共産党と社民党ぐらいのもので、他の野党はふらついていた。共、社 以外の諸野党には新法を全面否定することへの躊躇(ちゅうちょ)が働いていたからだろう。
≪否定派の横綱は朝日と毎日≫
政府・与党と言論機関の攻防戦が複雑だったのはいささか意味が異なる。本稿はその面を扱う。
主要言論機関たる新聞の場合、新法に対しては大別して肯定派と否定派がある。前者は産経と読売に代表される。が、両紙とも全面的賛成論ではなく8割肯定、 2割留保といったところか。他方、否定派の横綱は朝日、毎日の両紙であり、その論調には迷いがない。
全面的断罪派と呼ぶべきか。政府立法の発想そのものを 正面から危険視する社説を何本も掲げた。両紙が新法案への全面的な反対姿勢を打ち出すや、すぐに私は半世紀以上も昔の60年安保騒動を思い出した。昔の夢 よ、もう一度?
往時、岸信介首相がアイゼンハワー米政権と現行の日米安保条約を結ぶと、主要各紙の評価は一枚岩ではなかった。が、国会 周辺での激しい抗議行動中に女子東大生の死亡事件が起きると、在京7紙(挙名順に産経、毎日、東京、読売、東京タイムズ、朝日、日経)が1960年6月 17日、前代未聞の共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を1面に同時掲載した。
60年安保騒動は日米間条約が原因だったから、今回の国内立法と同列には論じられない。が、肝は国民の意識覚醒だ。ならば、往時並みの活発なプレスキャンペーンをやろう-。朝、毎の気負いを私はそういうものと読んだ。
≪激情に基づく判断は持続せず≫
両紙は連日、有名人や識者を登場させて秘密保護法案反対を語らせた。朝日は11月30日付夕刊の大型連載企画「昭和史再訪」で53年前の「日米安保条約改 定」を扱った。
その書き出し。〈「秘密保護法、反対」と声を上げ、行進する人々。先日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂での特定秘密保護法案の反対集会 後、約1万人が国会などへデモをした〉。この記事に添えられた大きな写真も53年前のものではない。なんと、「STOP! 秘密保護法」の写真だ。これで どうして53年前の回顧記事だといえるのか。
朝日や毎日に訊(たず)ねる。60年安保騒動の大衆エネルギーに今日、再びあやかりたいと の心情は分かるが、そのエネルギーが10年後、20年後にどうなったかを復習したことがあるのか。安保条約の一応の期限は70年であったが、期待(?)に 反して反対運動は盛り上がらず、条約は自動延長された。
以降、条約規定では締約国の一方が解消通告すれば1年後に条約は終了する。だが、誰が一体、そんな道を選ぶか。国民の圧倒的多数は今日、日米安保条約は無期限有効と思い込んではいまいか。
激情に基づく判断は時の経過とともに変化する。私は日米安保反対だったことは全くないが、私より才能のある友人知人の中には反安保の闘士がわんさといて、 国会前のデモを指導した。全員、激情の持ち主だった。
そして数年にして「転向」した。苦しかっただろう。が、例外なく誠実だった。彼らは長文でも難解でもない安保条約を読まなかったと告白。巣鴨帰りの岸が憎くて反安保を叫んだと認めた。これは何を教えるか。
≪新法は一部留保付きで合格点≫
新法の内容にいくばくかの留保を持つ私の判断を書く。〈この道はいつか来た道。おおそうだよ、戦前の治安維持法へ戻る道〉と言わんばかりの朝日や毎日は 「事前決定論」に立つ。前途には戦前の治安維持法下そっくりの日本が待ち受けるとの診断だ。5年後、10年後、30年後に診断書を開けてみて大丈夫か。 53年前に日米安保体制の不吉な将来を描いた論説の類(たぐい)を再読、再学習する必要はないが、今日の激情が持続するのか。
特定秘密保護法下のわが国が無病息災で暮らし続けるかどうかは分からない。長い歳月には多分、風邪や下痢を経験することもあろう。過般の国会審議で野党側から指摘されたように、国民の「知る権利」と法規定との間に避け難い軋轢(あつれき)が生まれ、法律違反を問われる国民や公務員が出る事態はゼロとはいえまい。新法下、美しい予定調和を望むべきではない。が、おおむね良好な健康状態が保たれるだろう。それが鍵だ。
政治の世界、わけても他国との関係が絡む国際政治の世界では一点凝視に耽(ふけ)るのは危険だ。「知る権利」は優れて国内的価値だが、新法は軍事、外交、テロ、スパイ関連の情報など国境を越える領域での秘密保護という国際的価値に関わる。複数の価値間のバランスを図りつつ最適解を求めることが肝要だ。最適解とはある意味、職人芸みたいなもので、誤解を恐れずに言うと以心伝心的な性格がある。それを法制化するのは難事だが、新法はほぼ合格点である。(させ まさもり)
杜父魚文庫
14900 朝日新聞の「知らぬ顔の半兵衛」 古森義久

コメント
大阪朝日新聞 昭和11年8月13日の記事
沖縄について書いている記事のリードから
「珍奇な名は改めよ」
「改姓改名時代」
「方言の殲滅へ 着々進む沖縄の標準語化運動」
さらには、戦死した軍人の記事のタイトルは、「皇国の人柱」
このように、朝日は、強力な戦争推進勢力でした。
朝日は煽ることは得意ですが、責任は全くとりません。
過去から今まで、その体質は何も変わりません。