政界の再編は何の為にするのか。近頃の秀才面の答え。「自民党の一強体制に対抗する為」
・・・そういうわけで、特定秘密保護法案に対する賛否の違いを切っ掛けにして、みんなの党が分裂して数日さかんに報道され、その都度、民主党や維新の会の、「もっともらしい若手」の共感したようなしたり顔が画面にでてくる。再編の動きが、党派を超えつつある、とでも言いたげである。
そこで、明確に言っておく。まず、東京では「馬鹿か」大阪では「アホか」、と。
政界の再編は、現在の我が国を取り巻く「明治維新期に匹敵する国難」を克服する為にするのだ!
それを、何か!あの訳のわからん自民党に対抗する為にすると言うが如きは、さらに訳がわからん。
国家の政治を、キャバレーの客取り競争のレベルでしか捉えられない政治的未熟児もしくは痴呆の次元であると言うしかない。巨大キャバレーに対抗する為に、小キャバレーが連合するだとよ。やれ地方主権だとか、やれ既得権益打破だとかを掲げて。
従って、各党若手の共感気味の顔は、未熟のレベルか痴呆のレベルが同じだということを示しているに過ぎない。
さはさりながら、この現象は、時代病と言うべきか。思えば、二十年前の新党ブームによる細川内閣誕生と小選挙区制導入以来繰り返されてきたことなのだ。
その時からの「凄腕」の親分は、さすがにくたびれたが、今度はその風潮の中で泳いできたもっともらしい顔をした若手が、これが政治だと錯覚したまま、また「種の明いた手品」をやっているということだ。
今こそ、政治家の、真贋を見抜くときだ。そうでなければ、国が滅びる。領土が強奪され同胞が殺される。
その基準は、具体的である。即ち、如何にして、中国共産党の軍事的攻勢に対抗して尖閣を守るのか。如何にして、北朝鮮に拉致された同胞を救出するのか。
その為に、戦後体制から脱却するのか、脱却しないのか。その脱却すべき戦後体制が日本国憲法体制ならば、一挙に、自主憲法を制定するのか、しないのか。
しかるに、今の「再編」に、この基準のかけらでもあるのか。
よって、真の再編は、国難を克服するために、別の次元で起こるべくして起こる。その担い手の頭目は、この基準を常に掲げて存在してきた人物。
私も、政治家の端くれだから、具体的に言う。平沼赳夫拉致被害者救出議員連盟会長である。国難に真に立ち向かうべき人材は、決起の前は、静かなること林の如くで動かざること山の如くである。
杜父魚文庫
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