■凄まじきも見事な武士道精神はなにから生まれたのか 世界が驚嘆した特攻を多角的歴史的視野から捉え直した力作
<黄文雄『日本人はなぜ 特攻を選んだのか』(徳間書店)>
孫子の兵法には「特攻」と「玉砕」はない。
中国人の考え方の基本にある認識とは「他人は死んでもよいが、自分だけは生き残る」という超個人主義的な発想がある。だから、孫子の流れをくむ現代中国の兵法書『超限戦』にはサイバー、ケミカル、病原菌兵器。謀略、逆宣伝など戦争の遣り方を述べているが、特攻と玉砕はない。
そもそも真っ正面から敵に立ち向かって勝つという発想がないのだ。
世界が驚愕して、ときに礼賛した特攻は日本歴史のなかで如何にして生まれたか。黄文雄氏は、それを武士道の源泉にもとめ、たとえば『太平記』でも三千人の武士が切腹した記録があるという。
「日本の武士道とは、武術・武道などの戦闘的技術論ではなく、道徳的、精神的なものを追求するものである。それは戦争に対峙して、生死をかける際の武士の心構えからうまれたものであり、社会的責任を自らに問う意識から生まれたものである。礼節を守り、信頼に応え、名を重んじ、引きと取らぬよう維持を通し、勇気を発揮しようという、その意識の結晶が武士道なのである』(本書117p)。
そのうえで、黄氏は次の指摘をしている。
「日本人はずっと遠い古代から、誕生を生まれ変わりとする考えがある。だから魂は再生するもので、誕生も復活も、日本では同じ意義を持っている(中略)。輪廻転生の思想は、仏教からうまれたものではない。神代の時代から(日本書紀にみられるように既に)に本意はあった」
だから武士は死を怖れず、楠木正成は「七生思想」を説き、廣瀬武夫は「七生報国」を残した。三島由紀夫は「七生報国」の鉢巻きを巻いて自刃した。
吉田松陰の学問的師は山鹿素行だが、かれは『山鹿語類』に次の項目を掲げた。
――武士としての自覚を固める
――意思を的確にする
――徳を練り、万能を磨く
――行為の善悪を省みて威厳を正す
――日頃の行為を慎むこと
山鹿軍学では主君に忠誠を誓う美学を述べてはいるが、殉死には批判的である。したがって吉田松陰も殉死を評価せず、しかしながら諫言をもってする諫死を辞さない決意を重視していた。吉田松陰の日本的思想が、やがて日清日露の軍人精神に昇華し、それが特攻の思想に繋がったと評者は考えている。
本書では新渡戸稲造の武士道解釈からアンドレ・マルローの特攻礼賛まで多岐に亘る考察が述べられている。
杜父魚文庫
15159 書評『日本人はなぜ 特攻を選んだのか』 宮崎正弘

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