■民主党内閣の前防衛相・拓殖大学特任教授 森本敏
わが国はこの40年ほど武器や関連の技術・役務などを輸出できないできた。昭和42(1967)年の佐藤栄作首相の国会答弁と同51年の三木武夫内閣による政府統一見解などにより、事実上の制約を受けてきたからである。
≪共同開発生産で低コストに≫
他方、わが国の技術水準は70年代以降、急速に発展し、米国が求めてきた技術供与を可能にする例外化措置を取った。自衛隊が平和維持活動(PKO)のため海外へ武器を携行して派遣先国に供与することも、例外化措置とした。武器輸出三原則で禁じる武器輸出に当たるとの理由からだ。
冷戦終焉(しゅうえん)に伴い各国の国防費は削減され、兵器の国際共同開発・生産という傾向も強まってきた。F35戦闘機(9カ国共同開発)はその代表例だ。兵器を国産して自国だけで調達すると、研究・開発・実験・生産の全コストが単価に反映され価格も上がる。当然、発注は減り、防衛産業の技術・生産水準も低下し、防衛産業から撤退する企業も増えてくる。
こうした諸問題を是正するには過去の例外化措置を踏まえ、原則を見直す必要があった。
平成23(2011)年12月に民主党政権下で定められた防衛装備品等の海外移転に関する基準は、平和貢献・国際協力と国際共同開発・生産に道を開くもので、大きな成果だった。だが、海外移転の内容が不十分で、目的外使用や第三国移転については国の事前同意を取るという原則には、例外化措置を設けていなかった。
今回、設定された新原則は、国連憲章を順守するという平和国家としての基本理念と、戦後の平和国家としての歩みを引き続き堅持し、従来の方針が果たしてきた役割にも十分、配意しつつ、防衛装備の海外移転を改めて見直したものである。「武器」を「防衛装備」に、「輸出」も「移転」にして、対象の範囲を広げた。
そのうえで、移転が禁止されるのは、条約などや国連安保理決議に基づく義務に違反する場合や、紛争当事国が対象になる場合とした。装備移転は紛争を助長しかねないとの懸念に対しては、国連憲章を順守する平和国家の理念、安倍晋三政権が掲げる積極的平和主義の理念に基づいて行うことを旨とすると強調している。
≪同盟と多国間協力の強化へ≫
移転を認めるのは、平和貢献・国際協力の推進に資する場合、わが国の安全保障に資する場合とした。具体的には、米国をはじめ安全保障面で協力関係にある国との国際共同開発・生産、武器技術の提供、ライセンス生産にかかわる部品・役務の提供、救難、輸送、警戒、監視、掃海をめぐる協力に関するものなど、広範にわたる。自衛隊の活動や邦人の安全確保に必要なものも含まれる。
新原則で最も注目すべきは、目的外使用と第三国移転について、原則としてわが国の事前同意を義務付けるとしつつも、例外化措置を認めている点である。
例えば、平和貢献・国際協力の推進に必要な場合、部品などを融通し合う国際体制に加わる場合、部品などをライセンス元に納入する場合、移転する部品の貢献度が相当に小さい場合などは、相手国の管理体制を確認することにより事前同意は必要としないこととした。重要装備品の移転案件については国家安全保障会議(NSC)を通じて決定し、情報公開するとした点も見落とせない。
安全保障面で協力関係にある諸国との共同開発・生産や、救難・輸送・警戒・監視で諸国と協力するための防衛装備移転もできるようになり、日米同盟の強化につながる。装備を売却してアジア太平洋諸国の能力向上が図れ、海洋を含む地域の平和と安定に向けた多国間協力が強化できる。
≪防衛産業の活力を取り戻せ≫
わが国の防衛産業が新たなビジネスチャンスを見いだせれば、政府が防衛装備を安価に調達できるチャンスも増してくる。
新原則を戦略的に実行するためには、装備の提供を要請してくる国とその周辺地域の安全保障環境や、相手国の装備体系、戦略目的に関する研究や調査が十分に行われていることが必要で、研究・情報収集や、共同開発・生産の理念づくりなどに当たる組織を確立しなければならない。新原則をわが国の安全保障や地域の平和と安定に寄与するものにするため、防衛装備移転の構想と方針を策定することが求められている。
防衛産業は、新原則がどう適用され、どんなビジネスチャンスが広がるか確信が持てないかもしれない。政府は新原則で何が可能になるかを一層、具体的に示すとともに、企業も原則に基づく生産・開発及び輸出の可能性に前向きに取り組む必要があろう。
新原則が、約半世紀もの間、失われてきたわが国の防衛産業の活力を取り戻す、重要な転換期になることを期待したい。安倍政権が「戦後レジームの脱却」を旗印に次々と打ち出すこの種の政策方針を、われわれは真剣に受け止め、「積極的平和主義」を進める大きな手段とすべきである。(産経・正論)>
杜父魚文庫
コメント
世界が「戦後レジーム」から脱出しだしました。世界的流行。体調如何ですか?
しばらく更新がないようですが、ご体調はいかがですか? どうぞお大事になさって下さいませ。
突然ですみません。実は結論から言えば「朝山深太郎」(本名
山田一彦)の詩歴を探しているものです。
池田源尚、倉光俊夫さんらと雑誌『麦』に参加していたということですが、貴兄の父君の作家の「古沢元」さんとの関わりはなかったのでしようか。
山田一彦は富山県生まれで、かつては瀧口修造のメンバーだったのですが、消息不明ということでその足跡がわからず、今探しているところです。
もし何か手がかりになるものがあれば、教えていただけませんか。
私の住所は「富山県下新川郡入善町入膳7069-2 」です。
2週間ほど登場がありませんが、お加減は如何ですか。お大事にしてください。