15911 母そして躾・ ・   加瀬英明

私の母も、和服を愛好していた。私は小学校の高学年のころから、着物の着付けを手助わされた。
そんなことから、私は着物の着付けの免許を持っている。それも、協会の名誉総裁をおつとめだった、三笠宮百合子妃殿下のご署名があるもので、大切にしている。
母は新しい着物が届くたびに、いつも明るくなった。私が仕付け糸を抜く係になった。
私は仕付け糸が、着物の仕立てがくるわないように、仮に糸で縁をぬっておいたものだということを、憶えた。
躾けはしつけると同音で、礼儀作法を身につける、身についた礼儀作法という意味で、用いられている。仕付け糸も、同じ根の言葉である。編笠に花をしつけるというように、つける、つくるという意味もある。
5月に董風が吹くころになると、九州から神を迎えて田植えが始まり、桜前線のように北へあがってゆく。田植えは、苗の植付けることだが、苗をしつけるという。
和服姿の女性は、日本の花だ。躾という字は、大正に入るまでは、と書かれることが多かった。躾も、とも、日本で造られた国字であって、もとの中国にはない。日本独特のものだ。
演目は忘れてしまったが、3、40年前に亡妻と狂言を鑑賞した時に、「とも無い者を出し置きまして、面白も御ざらぬ」という台詞があった。江戸期か、それ以前の作だから、とと書いたにちがいない。
私は帰り途に、妻に「お前をしっかり躾けないと、物笑いになるからな」と、いったものだった。
しかし、夫が妻を、あるいは父親が子を躾けるものではあるまい。躾けは、あくまでも母親の役割である。そして、父親が母親の助手を、わきからつとめることになるのだろう。
着付けという言葉も、概念も、中国、西洋諸国をはじめ、世界のどこへ行っても他にない。
日本では、着物は美しく着るだけでは、完結しない。立ち居振る舞いが、美しくなければならない。日本文化のきわだった特徴だ。着る者の覚悟と、心のありかたが問われる。
日本を明治に入ってから、西洋列強に負けない偉大な国としたのは、江戸時代の母親による躾けだった。
杜父魚文庫

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