<5月8日に、私の新刊の『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』(KKベストセラーズ・ベスト新書、820円)が、刊行されます。まえがきを、お読み下されば幸いです。
<中国と、韓国の実像を知るためには、両国の成り立ちが、日本といかに大きく異なっているか、比べれてみればよい。
中国を理解すれば、韓国は属国として、ずっと中国の猿真似をひたすらしてきたから、付録のような民族だと思えばよい。
中国は世界のなかで、もっとも貪欲な文明であってきた。中国を理解する大きな鍵が、3つある。
まず、食文化の中華料理だ。次に王朝がしばしば交替する易姓革命であり、第3に、中国人の頭を支配してきた儒教である。
このなかでも、中華料理は中国人全員の生き甲斐(がい)であって、中国人の精神構造の謎が秘められている。
中華料理こそ、中国人に独特な思考と、行動様式を説明してくれる。せっかく、日本人は中華料理を日常好んで食べているのに、料理のなかに中国のどのような物語がこもっているのか、気づかない。
今日、中国は中華人民共和国を称しているが、国の名前は実体とまったく関係がない。3000年にわたって滅亡しては、興った数多くの中華帝国の1つである。
中国と日本は、すべてが正反対だ。中国人は即物的だが、日本人は精神性を尊ぶ。中国人は自己主張が強いが、日本人は和を重んじるから、譲り合う。
中国人は量を、日本人は質を求める。中国人が不潔であるのに対して、日本人は清らかさを望む。中国人は自分に都合のよい論理を振り回すが、日本人は感性によって生きている。
中国人は外見を、日本人は内面を大切にする。中国人は自己本位であるために、相手が悪いと思うが、日本人は謙虚だから、自分のほうが悪いにちがいないと、思いがちだ。
本文をお読み頂きたいが、中国人も日本人も、古代から人としてのありかたが、まったく変わっていない。中国と日本は2000年前から対照的だったが、そのまま、今日の中国と、日本の違いとなっている。
私たちは長いあいだにわたって、中国人も日本人と変わらないから、心を通わせることができるにちがいないと、勘違いしてきた。中国人が心を持ちあわせていないことに、気付くことがなかった。
中国を理解する4つ目の鍵は、中国は歴史を通じて、政治が1から10まですべてであって、他に何もない政治文化であることだ。政治の役に立てば、平気で嘘をつく。真実は政治の役に立たないから、まったく顧(かえり)みられない。
儒教も、よい例だ。儒教は日本では、道徳哲学であると誤解されているが、本場の中国の儒教はいかに人民を統治するかという、政治思想である。
政治がすべてだから、最高権力者を頂点とする“役人天国”であることも、今日にいたるまで少しも変わっていない。役人がのさばっている。役人は自分の懐(ふところ)を肥すことに、忙しい。
軍人も、役人に負けていない。習近平体制になってから、軍人に高級ブランドを買ったり、高級レストランにおける接待を禁じたが、病根は政治文化にあるから、深いものだ。
人民解放軍の機関紙『解放軍報』が、「清日戦争から教訓を学ぼう」という記事を、3月24日に載せたが、「清軍が直面した多くの問題は、現在、人民解放軍が闘争中のものだ。それは、縁故採用や、派閥抗争、汚職行為も含まれている。もし、この現象が続いてゆき、中日間で軍事衝突が起きれば、解放軍はまた負ける」と、訴えている。
今日でも、中国はおぞましい儒教国家である。儒教は、国全体よりも何よりも、自分の一族である孝を大切にする。日本のように、公(おおやけ)を重んじる心がない。
日本人は一族よりも、国家を上に置いてきた。中国では、為政者に奉仕することが求められていても、国全体に対する忠誠心が存在しない。
中国を理解する5つ目の鍵は、中国が国ではなく、文明であることだ。
文明であるから、国境がない。中華帝国は清朝が19世紀なかばに、イギリスと阿片戦争を戦って敗れるまで、国名を持っていなかった。中国の皇帝が、全世界の支配者であると思いあがっていたから、王朝名があっても、国名を必要としなかった。イギリスと南京条約を結ぶことを強いられたので、便宜的に王朝名の清を、国名として使った。
中国人は中華思想といわれるが、中華文明が世界で最善のものであると、みなしている。中国の皇帝は地上で誰よりも、もっとも高い徳を備えているとされた。そこで、中国が周辺の諸民族を征服して、支配下に置いても、侵略したのではなく、「徳化」したとされた。
習近平国家主席が「中華民族の偉大なる復興」を叫んでいるが、かつての中華帝国を復活させようとしている。漢民族は古代から、自己中心な“天下イズム”を、信奉してきた。
もっとも、中国という呼称は、かなり新しいものだ。孫文が1911年に辛亥(しんがい)革命が成就して、国名を中華民国に定めた時に、通称をどのように呼ぼうか、会議にはかった。
中国の伝説上の最初の王朝が夏だったことから、「大夏」にしようという案が有力だったが、中国が採用された。日本の中国地方のほうが、古いのだ。>
杜父魚文庫
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