病院に行って採血検査を受けるには、朝食をとらないで採血して貰う。ほぼ毎月のように採血検査を受ける身だから、この十余年、いたずら心で朝食をたっぷりとって採血を受けたこともある。一時間ほどで採血の結果が主治医のところに送られてくるのだが、効果というか悪効果がてきめん。
二回も長期入院しているので主治医もそこは心得たもの、「朝食を食べましたね」とやんわり睨むので、「忘れてしまいました」と恭順の意を示して勘弁して貰う。
自分の身体だから、そういつも悪戯をするわけにはいかない。昨日は真面目に朝食抜きで採血検査を受けた。主治医の診察まで一時間以上、時間があるので病院の売店でサンドイッチとミルクテイを求めて休憩室で食事。血液内科の患者は高齢者が多いので似たもの同士の食事風景なのだが、たまには若い女性がいることもある。
昨日もその若くて上品な女性の前に座って食事をすることができた。病院通いもたまには心ときめく良いことがある。だが売店のミルクテイはどうもいただけない。ロンドンのホテルで本場の紅茶を毎朝いただいたことが思い出される。ブログに紅茶のことを書こうかと思いながら、携帯電話を取り出して時間つぶしに杜父魚ブログと頂門の一針を読む。
そうしたら渡部亮次郎さんが「トイレット・ペーパー」のこと書いていた。
戦時中は紙が欠乏していたので、新聞紙を切って尻拭きに使ったものだ。ゴワゴワしていて、あまりいい気持ちがしないが、そこは”欲しがりません、勝つまでは”の時代。トイレット・ペーパーなんて上等なものは戦後の産物である。
海外に行く時はテイシュはかさばるので”穴なしのトイレット・ペーパー”をいくつか持っていく。これが便利なことは、あまり知られていない。尻拭きに使うのではない。手を拭いたり、テーブルを拭くのに使う。通訳のイルクーツク大学の女子学生にひとつあげたたら、目を丸くして喜んでくれた。
紅茶の話を書くつもりでいたら、トイレット・ペーパーの話になってしまった。やはり戦争とは縁がない平和な時代が尊い。いつまでも平和が続いてほしい。
■トイレット・ペーパー 渡部亮次郎
昔、モスクワの迎賓館で、トイレット・ペーパーにはボールペンで字が書けるほど硬かった。そんな話をメイル・マガジンに書いたら、記者の先輩古澤襄さん(元共同通信社常務理事)が、今はそんな事はなくなった、と教えてくださった。
<新聞紙のようなトイレット・ペーパーは古い話。8年前にはブリヤート共和国でお目にかかったのですが、イルクーツク、ハバロフスク、ウラジオストックでも柔らかい紙。ただ、幅が狭い。
3年前に行ったら日本と同じトイレット・ペーパーでした。幅も広くなっていた。韓国から輸入しているとの話。モスクワは、それ以前から柔らかいペーパー。ドイツあたりから輸入しています。何しろ石油や天然ガスを売って、ユーロやドルをふんだんに持っていますから・・・。
古澤さんは父親をシベリア抑留で失っているので、ロシアへ度々鎮魂の旅をされるから、私の周囲では最もロシア事情に詳しい方である。庶民のトイレがそうならば、迎賓館だもの、字は書けなくなって、目出度し、目出度しでした。
ロシア人は社会主義を放棄して初めて尻の平和を得たと言うわけか。とにかく「紙」と言うものは、扱いが厄介だ。大事、無くてはならない品にして、しかし必ず捨てなければならない物だからだ。社会主義のうちは尻まで面倒みられない? いな、技術が無かった、或いは軍備に追われて、尻に手が回らなかった。
最近の日本では、トイレット・ペーパーなど話題にもならないが、私がNHK大阪放送局に赴任したときだから、昭和48(1973)年夏、田中角栄内閣の下で大阪から「トイレット・ペーパー騒動」が始まった。知らない方も多いだろう。>
杜父魚文庫
16075 ”穴なしのトイレット・ペーパー”の効用 古澤襄

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