16082 武夷岩茶から同根の紅茶、日本茶、中国茶、台湾茶   古澤襄

七年前のことになるが、お茶党の私がイギリスのダージリン紅茶や台湾の梨山高山茶のことを書いたことがある。中国福建省の武夷岩茶も取り寄せて飲んだ。いずれも自分が体験した話なので我田引水な点はお許し頂きたい。
台湾の梨山高山茶は蒋介石との記者会見があって台北から台湾に向かう特急列車の中で味わった。取っ手のついたグラスの下に茶葉が沈んでいる。味は日本の玉露茶には及ばないが香りが高い。中国茶は香りで飲むものである。
そこで上海の友人に頼んで本場の福建省武夷山で産する武夷岩茶を取り寄せた。中国皇帝が好んだという「大紅袍」は、優雅な香りで茶の王様。もっとも大紅袍といってもピンからキリまであって値段もいろいろだが、私が飲んでいるのは一昨年の中国コンテストで第一位を取った最高の大紅袍。。
大紅袍の茶樹は、樹齢三百年を超えていて、武夷山の天心岩の一角に、古木を4本だけ残している大変貴重なお茶だという。年間の生産量も2kgほどで、大紅袍の4本の原木には中国軍兵士が見張り番をしてる。
最近では大紅袍の母樹の1本を「北斗峰」に挿し木して栽培した「北斗一号」という新種も出ている。力強いスパイシーな味わいと香り、水色は透明感のあるオレンジ色の「北斗一号」を三袋持っているが、私は台湾の南投縣と花蓮縣の境に位置していて、標高1000メートル以上の高地で栽培されている「梨山」の方を好む。夏でも涼しいこの梨山で育った高山茶は、気温の低さから生育は遅く、茶葉は肉厚と評判である。金木犀を思わせる香りと穏やかな甘味、水色は透明感のある黄緑色。口の中に広がる香りと甘みが楽しい。
いずれも福建省の武夷山から移植された茶樹で、1970年ごろから台湾の凍頂山のある鹿谷卿一帯を中心に盛んに栽培されてきたという。武夷岩茶は「岩骨」(エンクー)と言われ、焙煎が強く七八煎(せん)いれても重厚なコクがある。岩韵(ガンイン)といわれる後味が長く続く特徴があるから、濃厚な中国料理の後には良いかもしれないが、淡泊な日本料理の後にはどうであろうか。寿司屋にいくとお茶がでる。日本の料理には日本茶であろう。最後に玉露の茶がでれば、もっといい。
ロンドンで味わった本場のダージリン紅茶の先祖は中国の武夷岩茶。日本茶の先祖も武夷岩茶なのだが、製法が違うので、それぞれの国のお国柄が出ている。日本に茶が伝わったのは中国に渡った空海や最澄が茶の苗木を持ち帰っていたという記録が発見されいる。最初は薬用として用いられ上流貴族階級のものであった。庶民のものとして広がったのは江戸時代で煎茶が流行した。
中国キリスト教史が専門だった私の恩師・矢沢利彦名誉教授は、十六世紀にポルトガルの船団が広東に初めて入港して以来イスパニア、オランダ、イギリスの船団が相次いで中国を目指したという。「絹」と「香辛料」それに「茶」を求めて万里の波濤を越えてきた。大航海時代の話である。
そのポルトガルのキャサリン王女がイギリスのチャールズ二世に嫁して、銀と同じくらい貴重品であった中国茶を持ってきた。武夷山の茶葉は木箱に納められ、船底に溜まる水によって湿気を持たないように工夫が凝らされたが、百日を越える航海で劣化が避けられなかった。
それがポルトガルやイギリスでブラジル産の砂糖を入れて飲む紅茶となったというから面白い。だが、キャサリン王女の時代は上流階級の貴婦人たちの趣向品にとどまる。17世紀後半からイギリス庶民の間でも紅茶の愛好者が増えて、うまみのある貿易品目になった。
とはいえ中国の福建省と江西省の省境を北東から南西にかけて武夷山脈が走っているが、その一角の三十六峰、三十七岩の名勝を持つ武夷ヒルズの武夷岩茶は産出量が限られる。
そこでイギリスはインドで、アッサム茶を植えてみると中国茶よりも根づきが良く、栽培も容易なことが分かった。ここから「アッサム系インド茶」の登場となったが、イギリス人はアッサム茶を支持した。
お茶の歴史だけで一冊の本になる。
 
杜父魚文庫

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