■香港の財産を売り払って南アフリカへ逃亡という怪情報
戴相龍と言えば、かつて人民銀行総裁(つまり中央銀行総裁、日銀総裁,FRB議長に相当)、その後、天津市長に転じて同市の経済特区開発ならびに天津の金融センター再建を指導した。辣腕エコノミストといわれ、また国際的な顔だった。日本の経済学者、ジャーナリスト、財界人にも広く知られる。
現在、戴相龍は中国社会保障基金理事長。
さて戴相龍の息子のことである。戴志康という。父親の顔とコネを利用して早くから上海の不動産開発ビジネスに参入し、浦東開発などで高級住宅地やショッピングモールを建てた。
歴代上海市長といえば江沢民、朱容基、黄菊、呉邦国、韓正と江沢民の息のかかった上海派の牙城でもあり、父親の推薦、斡旋によって、許可を取得しビジネスを円滑に進めるには都合が良かった。
戴相龍が人民銀行総裁の期間(1995-2002)、膨大な開発資金が息子の開発会社に流れ込んだという。
天津市長に転じると戴志康は活動拠点を香港に移した。
香港財閥第一位の李嘉誠に近づき、また当時の香港行政長官は雀英東で、彼もまた江沢民に近い人物だった。いってみれば「団派」の敵人脈が香港財界の主流派だった。数年後、香港の行政長官は団派の人間に移ったため江沢民派はあわてる。
戴志康は香港で大々的な不動産開発ビジネスに参画し、昨今は「東風」集団を率い、また香港のフォーシーズンズホテルを経営し、その資産は1000億米ドルと言われた。
昨今、習近平のすすめる反腐敗キャンペーンは、江沢民派だった鉄道部を解体し、石油一派を壊滅寸前に追い込み、ついで守旧派の総本山発電利権にも手をつけようと躍起である。
この過程で香港における太子党の腐敗ビジネスやコネクションにもメスを入れ始めた。
戴志康は「俄然、香港のシティ銀行、スイス銀行に預けていた預金などの解約を始め、その多くを南アフリカへ移転させ、家族ともども移住を準備している」(博訊新聞網、5月23日)。
杜父魚文庫
16154 上海派が分裂か? 朱容基の右腕だった戴相龍の息子も捜査対象? 宮崎正弘

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