■もし高天原が富士山だったとすれば関東が日本史の中心だった。一気に解決する古代史から近世への歴史の謎
<田中英道『本当はすごい! 東京の歴史』(ビジネス社)>
富士山が高天原ではないか、という筆者の推理が基軸となって日本一の高峯をのぞんで自然と向き合ってきた日本人の心情を歴史と通して縦横に描く。
それも関東の永い歴史の謎に挑みつつも、筆者は東京が世界三位にランクされる美しさと住みやすさを併せ持つ都市であることを力説される。
本書はまずカラーの口絵がすばらしい。江戸図屏風。秀吉の醍醐寺の花見や洛北の金屏風を京都で何回か見たことがあるが、江戸の金屏風、それも江戸城の天守も配置されたものを評者(宮崎)は恥ずかしながら今日まで見たことがなかった。
カラーの口絵bには王子、板橋、谷中、浅草が金雲の間からのぞき見ることができる。俯瞰できる構図になっている。口絵cは同じく神田明神、湯島天神、寛永寺。dは大名屋敷、eは外様大名屋敷から増上寺。そしてeは日本橋と小網町の江戸時代の商業、海運の振るいが見事に描かれている。
湯島聖堂、神田明神と平将門の首塚、そして浅草寺や増上寺の由来から、鹿島神宮と香取神宮は、いかに古い歴史的いわれをもっているか、などを平明で簡潔な説明のなかに重視される。
筆者の田中英道・東北大学名誉教授は「サン・ピエトロ大聖堂とローマ、富士山と東京がおなじ構図になっている」と考え、「東京は常に富士山に見守られている存在であり、また富士山は東京人が常に仰ぎ見る存在である(中略)そこにそびえるのは人工的な建造物ではなく大自然が生み出したこのうえない美しい造形物です。これを信仰の対象としてきた日本人の精神性には、イタリア人にも理解できるものがある」
ならばと話は飛んで、水戸学と大政奉還に時代。かの尊王攘夷派水戸学が源流だが、この思想の大元は鹿島神宮にあると田中氏は言う。
『尊皇攘夷は鹿島神宮が生み出した思想と言って良いのですから、そもそも関東にその原動力があったと言えます。つまり関東で醸成されてきた明治維新の背景となる思想を受け入れて実践したのが薩長だった』が、それは天孫降臨のときの鹿島と鹿児島との結びつきがあるからと氏の推論は重層的に決着へと向かう。
戦後の歴史学は肝心の日本の古事記、日本書紀を軽視し、あやしげな魏志倭人伝などに依拠したため出鱈目な歴史学がいまも蔓延っている。
それこそ高天原は東京であり、天孫降臨の神話は板東から生まれたと言われるのが本書の骨子にある。
個人的にいえば、本書の最後に田中氏が欧州へ留学し、美術に没頭される由来から、日本帰国後、日本の美と伝統を比較するにいたる人生の履歴に興味を引かれた。
本書巻末には東京の歴史的スポットの一覧と住所が掲載されており、この本を片手に東京都その周辺の歴史散歩のテキストともなっている。
杜父魚文庫
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