日本維新の会の分裂劇はスポーツ紙の話題程度か、と皮肉な言葉を投げたくなる。言うなら野党の多党化・分裂騒ぎだから、日本政治に与える影響はあまりない。海外メデイアもまだどこも報じてくれていない。
みんなの党の分裂騒ぎも一時は話題となったが、ひとつの政党がふたつに割れただけ。これらの分裂騒ぎが政界再編のきっかけになるというのは誇大広告の類ではないか。
あるとすれば石原慎太郎氏と行動をともにする勢力が自民党との連立を模索するのかもしれない。その時に浅尾慶一郎代表・水野賢一幹事長のみんなの党22人がどう動くか。少なくとも結いの党の江田憲司代表とは不倶戴天の敵の仲だから橋下、江田に同調することはあり得ない。
案外ホッとしているのは海江田民主党なのかもしれない。維新がまるまる結いと合流したら第二党の座を失って第三党に転落必至といわれていた。石原氏と統一行動をとる議員たちは10人とも20人とも言われて定かでない。結いの衆参14人を上回る数となれば、合流の意味が薄れてしまう。
メデイアが好きな政界再編は大きな政党が分裂しないことにはあり得ない。公平にみてまだその時機ではない。代わって野党の離合集散が繰り返されている。当分の間はスポーツ紙の話題ということだろうか。
<日本維新の会の分裂が事実上、決定した。橋下徹共同代表(44)は28日、石原慎太郎共同代表(81)と名古屋市内のホテルで会談し、分党する方針で合意した。維新は4月26日の執行役員会で、結いの党と夏までに新党結成を目指す方針を確認。石原氏は憲法観の違いなどから結いとの合流に反対しており、溝が埋まらなかった。2012年11月に石原氏の「太陽の党」が維新に合流してから1年半。ついに「別れ」の時が訪れた。
「たもとを分かっていこう。別々の道を歩んでいこう」―。この日行われた約20分の会談でそう話しかけた石原氏に、橋下氏は「分かりました」と応じた。2012年11月の、両者の合流から1年半。意見の対立を続けながらも、つかず離れずを続けた“夫婦”が、ついに“離婚”を決断した瞬間だった。
終了後、橋下氏は報道陣の問いかけに厳しい表情で無言を貫いた。維新幹事長の松井一郎大阪府知事はこの日、府庁で「『慎太郎節』で行きたいなら、無理やり引き留めない」と橋下氏の気持ちを代弁。分党後の対応については「橋下氏と相談しながら決める」と述べるにとどめた。
別れの原因は、今夏の合流が確実な「維新」と「結いの党」の合流構想だった。1月中旬には橋下氏と、結いの党の江田憲司代表(58)が会談。両党の合流を事実上決め、協議をスタートした。関係者によると、この時点で政策面で大きな隔たりがある石原氏の排除も視野に入れていたという。
両党は今月21日、政調会長レベルで7項目の共通政策案で合意。憲法については「憲法改正による統治機構改革」と表現した。これに対し、石原氏は「自主憲法制定」を明記するよう要求。結いの党が「現行憲法の破棄を意味し、野党再編の障害になる」と拒否した。 そもそも石原氏は当初から結いの党を「護憲政党」と決めつけ、関係者に「自主憲法の制定を認めない政党と一緒になることはない」と漏らしていた。合流へのアレルギーを隠そうとせず、我が道を行く石原氏の態度に、維新内でも公然と反発する議員も目立ち始めた。3月、維新の会合で「脱原発」である党の方針と違う持論を述べた石原氏に向けて、ある議員が「出て行けよ」とヤジを飛ばした。党内でも孤立しつつあった石原氏。分党を決断するのは時間の問題だった。
今回の分裂劇で、野党の政界再編が加速することは確実だ。維新所属の国会議員は衆参合わせて62人。関係者によると、そのうち“石原派”は20人ほど存在し、そのうち実際に石原氏と行動を共にするのは10~20人程度という。また“合流派”は民主党やみんなの党の一部を取り込むことも視野に入れており、政策の違う石原氏という存在がいなくなったことで「合流したい議員」によりアピールしやすくなった。
石原氏はこの日の会談後、側近議員らと都内で会談。新党を結成する方針で一致した。29日に記者会見し、一連の経緯を説明する予定だ。
東国原英夫氏(昨年12月に維新を離党)「もっと早く分党すべきだった。『だから言ったでしょ』というのが本音だ。私が“1人分党”したのも、旧太陽の党との価値観の違いを最後まで埋められなかったから。橋下さんと石原さんは蜜月関係にあったが、やはり結いの党との合流を前に、憲法観の違いが大きなネックになったのだろう。石原さんらは憲法改正どころか、現行憲法の廃棄、自主憲法の制定を主張している。そのままでは民主、みんなの議員も合流できない。橋下さんは野党再編を目指す上で苦渋の決断を下したと思う」(スポーツ報知)>
■石原氏、橋下氏と「ちゃんと別れ話してくる」
<日本維新の会の分党が確実となった。
直接のきっかけは、結いの党との合流に向けた政策合意案について、石原共同代表がこだわる「自主憲法制定」を明記するかどうかで橋下共同代表との間で調整がつかなかったことだ。だが、維新の会を巡っては旧太陽の党との合流当初から、原子力政策など基本政策を巡る党内の路線対立が指摘されていた。
石原氏は28日夜、東京都内のホテルで、旧太陽の党の中心メンバーだった維新の会の平沼赳夫代表代行、園田博之副幹事長らと会談した。会談後、石原氏は記者団に対し、「(分党することで)一致した」と述べた。橋下氏とたもとを分かつことについては、「さみしいね。親子みたいに思っていたから」と語った。
石原氏は28日、名古屋市内での橋下氏との会談前、周辺に「ちゃんと別れ話をしてくる」と述べた。
維新の会の所属議員は、衆参合わせて62人。党内からは分党について、「旧太陽の党系を中心とした10人超が石原氏と行動を共にする」との見方が出ている。
結いとの合流に前向きな維新の会の松野頼久幹事長代行、小沢鋭仁国会対策委員長らは28日夜、都内のホテルで会合を開いた。小沢氏は会合後、「約40人集まった。維新の改革精神は我々が継承する」と記者団に語った。
現在の維新の会は、2012年11月、旧太陽の党の6人が合流して生まれた。合流以降、大阪市長の橋下氏が率いる維新の会と、東京都知事を務めた石原氏の旧太陽の党の間で、基本政策などを巡る「東西対立」が絶えなかった。(読売)>
杜父魚文庫
16192 言うなら野党の多党化・分裂騒ぎ 古澤襄

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