16216 剣道日本一が莞爾として笑っていた   古澤襄

夢の中で畏友・森芳健が出てきて目が覚めた。明大剣道部主将、学生剣道で日本一。共同通信の運動部に入り、私が最後の金沢総局長時代、森芳は名古屋支社運動部長でいたのだが、その時は面識がなかった。それが森芳の長男と私の長女が一緒になるとは思いもしなかった。孫が東大生になった姿を一度でいいから見せてやりたかった。
名古屋支社の支局長会議で同じ運動部出身の岐阜支局長から「名古屋の街で与太者五人に因縁をつけられ、近くにあった棒切れであっという間に五人を叩き伏せたのだからさすが日本一」と武勇伝を聞かされた。
その後、森芳は福岡支社運動部長に転じて、本社の労務部長になっていた私が福岡支社の支社部長・支局長会議で労務関係の話をすることになった。会議後、支社長が私と森芳を呼んでくれて中州でご馳走になった。
縁はいなもの。この支社長は名古屋支社長時代に私と森芳の上司だった。
「名古屋で与太者五人を叩き伏せたって・・・」
「いや、三人ですよ」
そんな会話がはずんでいっぺんに仲良くなった。やがて森芳は本社の管理部長になった。海部元首相が共同の全国新聞社会議で講演にきたことがある。森芳は管理部員を動員して警備に当たった。
海部はSPに守られて会場に入ってきた。ところがSPたちは森芳をみると直立不動で「師範!」と敬礼する。剣道四段の森芳は閑をみては、警視庁の道場で彼らに稽古をつけていた。私も政治部時代に海部は知らぬ仲ではなかったので、会場にいたがSPの敬礼には驚いた。
その夜、二人は地下の飲み屋で一杯やったのだが、
「剣道の醍醐味は稽古なんですよ」
と森芳は言った。
「試合は案外汚いものだから好きではない」
とポツリと言ったのが、不思議と印象に残った。勝つためには胴を打つとみせて小手を取る。森芳は小手を取る名手と評判だったが、勝つためのテクニックをご本人は好きでないと吐露した。それを”好きでない”といったのも、親友の私の前だったから本音を吐露したのだろう。
政治の世界でも勝つために手段を選ばないことがままある。それを嫌というほど見せつけられてきたから、森芳の本音が何となく理解できた。夢の中にでてきた森芳は
「やっぱり試合は好きになれなかった」
と学生剣道の日本一ならでは至言。
「そう、オレも政治は好きになれない」
と夢の中で私も答えた。
森芳は業務局次長の時に肺ガンで在職死亡している。優しい人柄だったので、以前の管理部員たちが、森芳の好物だったテンプラ蕎麦を蕎麦屋から鍋にいれて、病室に運んでくれていた。
病名は森芳夫人と私だけに知らされていない。
「フルさん、オレは肺ガンではないのか」
「そんなことがあるものか。悪性のインフルエンザだから治るよ」
そんな会話を何度も繰り返した。亡くなった時に
「済まない。嘘をつき通して、本当に済まない」
私は森芳の遺体の前で男泣きに泣いて詫びた。
「わかっていたよ。嘘をつき通してくれて有り難う」
夢の中の森芳は莞爾として笑っていた。
杜父魚文庫

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