天安門事件から25年を機にしての中国論、米中関係論、そして日中関係論です。
<天安門事件を糾弾してこなかった日本米国は25周年イベントで中国に「改心」を迫る>
劉暁波氏は、天安門事件の参加者たちへの連帯や理解を表明する文学作品で2010年にノーベル平和賞を得た中国人作家である。現在は中国当局に捕まったまま、刑務所に収容されている。
そんな人物の名前を中国大使館の目前の道路につけようというのは、明らか中国政府に向けた抗議の表明である。議会ではすぐに40人ほどの議員がこの提案に公式に同意したという。
一方、民間ではワシントンの大手研究機関のAEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)が6月3日、「陳光誠氏との対話」と題する催しを開いた。この行事も天安門事件25周年を記念するイベントだった。
陳氏は天安門事件の犠牲者たちの遺志を継ぐ形で中国政府の人権抑圧に抗議し、当局から弾圧された法律家である。目が不自由ながら活発な抗議運動を続け、当局によって逮捕、投獄され、出所後も軟禁されていた。
だが陳氏は2012年に米国への出国が許可され米国に渡った。その陳氏を囲むこの行事も、中国政府にとっては、米国に天安門事件という大きな弱点を突かれる“不愉快”な催しに他ならない。
ワシントンなどを拠点とする民間人権擁護組織の「中国人権」は、天安門事件で命を失った5人の若い中国人男女の映像やフィルムを使ったビデオ回想録を、25周年にタイミングを合わせて公表した。当時、18歳だった劉洪涛、19歳だった孫輝、27歳だった石岩、といった名前の男女の生前の活動を、遺族たちからの資料や証言によって構成したビデオだった。
その他の民間の研究所や人権関連組織も、天安門事件25周年の活動を一斉に展開し、中国政府の弾圧政策を改めて非難した。
■天安門事件の直後に日本がしたこと
こうした米国の動きは日本にとっていくつかの意味がある。第1には日本の消極性を浮かび上がらせる点である。
本来は日本も普遍的な価値観の推進という見地から、中国政府の人権弾圧をもっと積極的に指摘し批判すべきだろう。しかし日本の消極性は、米国での動きと比較すると明白である。
今回の米国での一連の動きは、その事実を強く印象づけるものとなった。日本は、たとえ対象が中国ではなくても、一国の政府や 支配政党が天安門事件のような大規模な弾圧を実行したことに対しては、国際社会の一員として問題を提起する責務がある。(つづく)
杜父魚文庫
16280 日本はなぜ天安門事件でも中国への友好を示したか 古森義久

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