ことしは入院してしまったので、五月に恒例だった「古澤元・真喜文学碑忌」に出れないでいる。高橋定信前西和賀副町長に「七月になったら参ります」と知らせた。
岩手日報社の菅原和彦論説委員から、六月八日付の日報紙を送って頂いた。五面下段をつぶして道又力氏の力作連載「文学の国 いわて」の七三回が出ている。土門拳さんが昭和11年に撮影した古澤元の写真付きで、昭和15年下半期に第12回直木賞候補になった古澤元の小説「紀文抄」の選考事情が出ている。
岩手県人で初の直木賞ノミネートだったが、純文学に打ち込んでいたいた古澤元は「なぜ芥川賞候補でなくて直木賞候補なのだ」と不満を口にして、狭い文壇に「受賞しても直木賞は辞退する」と尾鰭がついて広まった。
土門拳と親しかったので「古澤さんは東北の芥川の風貌をしている」と四年前に11枚のポートレートの被写体になっている。その一枚が日報に掲載された。
水上勉も平成七年の毎日新聞文化欄のコラムで「長髪で痩身の古澤氏の芥川龍之介に似た着流しが、あまりにもまばゆかったので、よくおぼえている」と回想していた。
「紀文抄」は紀伊国屋文左衛門を扱った歴史小説だったが、選者の吉川英治が「作者の世界観には、左翼の文学青年が書斎の窓から世間を覗いているような視野の狭さがある」と強く反対、反対に宇野浩二は「候補作品の中で最も面白かった。直木賞よりも芥川賞候補のなった方が、と思った。これはもとより、後の祭り」と評している。
それにしても文学者の寿命は長いものだと、実感している。古澤元が生きていれば百七歳、三十九歳でシベリアで没しているが、毎年の文学碑忌には二十人近い人が集まって頂いている。
私はといえば、ことしは文学碑の隣に並んだ平沢和重の碑文「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」をじっくり見たいと思っている。平沢氏はこの旧沢内村にルーツがあって古澤家とも遠縁になる。「胸は祖国におき」は愛郷・愛国心がほとばしっているが、それが偏狭なナショナリズムに堕していないのは「眼は世界に注ぐ」があるからだ。先人のいましめを胸に刻みこみたいと思っている。

杜父魚文庫
16356 平沢和重の「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」 古澤襄
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