血液内科の医師から骨髄腫という聞き慣れない病名を告げられたのは平成12年のことだった。あれから14年間の歳月が去った。
ネット情報で調べると余命3年。同じ年に女優の小林千登勢さんが骨髄腫の告知を受けて3年後の平成15年に亡くなっている。好きな女優さんと同病なら仕方ないさと強がったが、やはりショックだった。
十万人に二、三人という”難病”だというから、もの書きの習性として自分の病状のことは出来るだけ記録にとどめて置きたいとブログにひんぱんに書いてきた。
「女優・小林千登勢さんを想う」を2007年、「女優・小林千登勢さんの見事な覚悟」を2009年、「あの世で小林千登勢さんにお会いするのは・・・」なんてセンチメンタルな記事を書いたのは2011年。
どういうわけか、この記事がきょうのブログ・アクセスで11位と21位でまとめて読まれている。
きょうは小林千登勢さんに関係ある日かと思ってグーグル検索で「小林千登勢」を出してみたら、私の記事が10位と11位で出ている。やはり、きょうは小林千登勢さんを回顧する何かがあったのだろう。
さて本題の骨髄腫だが、ことしの5月から治療薬のレプラミドを飲みだした。副作用を伴うので、三週間内服後、一週間休薬のサイクルを守っている。いま三サイクル目にはいったが、副作用はまったくない。二サイクルが終わった六月十二日に腎臓内科の先生と血液内科の先生のハシゴ診療を受けたが、懸念された採血数値も検尿数値も平常値に戻っている。
考えてみるとこの二人の先生のお陰で長生きしている気がする。腎臓内科の先生は副院長、血液内科の先生は内科部長に昇進しているので、長い付き合いになった。
■あの世で小林千登勢さんにお会いするのは・・・(2011.01.07 Friday name : kajikablog)
愛犬バロンが寝坊になった。夏は五時前からベッドに跳び乗ってきて「起きろ!起きろ」と騒ぐのが、冬になると七時過ぎまでイビキをかいている。起こすのが可愛そうなので、付き合って寝床の中にいるが、昨日は病院の血液内科の診療日だったので寝ているわけにはいかない。
朝七時半に家を出て、病院で採血を三本。採血検査に一時間はかかる。八年前に守谷市の健康診断で尿にタンパクが出ているので、病院で再検査の必要があるといわれた。これまでも過労が続くと尿タンパクが出た経験があるので、さして気にもとめていなかった。
町医者に相談したら、採血と蓄尿(24時間の尿)をしてくれた。検査は大きい病院に委託して一週間後になったが、同じ尿タンパクでも悪玉の可能性があるので、血液内科と腎臓内科がある総合病院で再検査するように紹介状を書いてくれた。この町医者は診立てがいいと評判の医者である。
総合病院の血液内科の医師はデータを診て「胸に穴をあけて骨髄液をとりましょう」といとも簡単にいうので仰天した。平成12年のことである。その結果が“骨髄のがん”といわれる多発性骨髄腫の告知であった。
骨髄腫なんて病名は聞いたことがない。十万人に二、三人という”難病”で、白人には少ないが、有色人種つまりは黒人や黄色人種に比較的多く、抗がん剤治療が効かない。告知後、三年が平均の余命だという。
73歳の時だったから、76歳までは生きておれる・・・まあ仕方がないさ!という心境だった。グタグタになるまで生きているのもシンドイ。私が好きだった女優の小林千登勢さんも、この病気で平成12年の告知後、平成15年に亡くなったと知った。享年66歳。多発性骨髄腫が急に身近なものになった。
三年後に、また入院して骨髄液を取られた。今度は胸ではなく腰の部分から麻酔をかけて採液。腎臓内科の医師は背中から何カ所か大型の注射針のようなもので腎臓の組織を採取した。痛いというよりは術後12時間は身動きができない方が苦しかった。術後に突然死しても告訴しないという承諾書にサインしたのだから、やはり危険な手術であった。腎臓から直接、組織を採取するのだから、勝手に動いて傷口が広がれば、膀胱に血が溜まる。
一週間後に退院したが、腎臓内科の医師は「腎臓病は完治していますよ」と笑顔で言ってくれた。骨髄腫の進行状況は腎臓にまず現れる。最後には脳に及んで死を迎えるという。
まずは余命三年のラインを越えたという思いで、さらに一年後の平成19年に「女優・小林千登勢さんを想う」の一文を書いた。あれから四年が経つ。余命三年が八年目になるのだから、何か小林千登勢さんに悪い気がしてならない。骨髄腫にも個人差があるのかもしれない。
生まれて、この方、開き直りの人生だったので、医者から禁煙を勧められても一日四箱を半分の二箱にしただけである。酒は晩酌をやめたが、相手があれば三、四合は飲む。医者から悪いといわれても、まったくやめてしまうつもりはサラサラない。本当に身体に悪いのなら、身体がそれを欲しなくなる。
しかし感染症に罹りやすい身体になってしまったから、人混みには行かないように心懸けた、風邪をひくと骨髄腫が一気に進行するというので、これは注意している。71キロあった体重も67キロ。上が180あった血圧も今は130。
七種類の薬を飲んできたが、昨年12月から血圧降下の薬を一種類減らした。血圧降下剤とは別に尿酸を減らす薬を二種類飲んでいるが、来月からこれも減らすことになった。結局は五種類の薬と付き合うことになるが、体調はすこぶる良い。やはり骨髄腫の発見が早かったので、一病息災の効果があったと思っている。毎月の病院通いもさして苦にならなくなった。利根川の対岸に越してきて、朝夕、愛犬と散歩しているのも、養生効果があるのかもしれない。
あの世で小林千登勢さんにお会いするのは、まだ当分、先のことになりそうである。
■女優・小林千登勢さんを想う(2007.10.18 Thursday name : kajikablog)
小林千登勢さんは私の好きな女優であった。亡くなって三年の歳月が経った。NHK朝の連続テレビ・ドラマ「鳩子の海」「おしん」で活躍していた。クイズ番組の常連でもあった。
六十三歳で“骨髄のがん”といわれる多発性骨髄腫におかされ、闘病生活を送っていた。平成12年に骨髄腫の告知を受けた。すでに病状がかなり進行していて、45キロあった体重が39キロに落ちていたという。死因は心不全と発表されている。
十万人に二、三人という”難病”と当時はいわれていた。今もそれは変わりない。抗がん剤治療が効かない病といわれている。過労が禁物である。
小林千登勢さんは髪の毛などが抜ける恐れのある抗がん剤治療を「女優だから」と拒否して投薬治療を続けている。美しくありたいという女優の心意気が偲ばれる。
私が今、同じ病におかされている。十月十八日に血液内科の専門医から告知を受けた。三年前にこの専門医によって骨髄窄刺という検査を受けたが、その時は「骨髄腫の初期の初期だった」という。
三年後に再び入院して骨髄窄刺を受けたが、その結果は「骨髄腫の初期」だという。やはり病状が少し進行したということであろう。しかし治療行為をする段階ではないという。ジワジワと病状が進行してはいるが、きょう明日にどうこうなるというものではない。
体重も71キロで変化しない。骨のあちこちに痛みが走ることもない。とりあえず三ヶ月後に再検査(血液検査と尿検査)をして、さらに病状が進んでいれば一ヶ月ごとの検査が必要になるという。その進行状態をみて投薬治療をするか判断してくれることになった。
粋がるわけではないが、小林千登勢さんと同病なら光栄である。好きだった女優だったから尚更である。間もなく七十六歳になる。現役を引退して好き放題のことをしているから、無理をせずに、ただでさえ残り少ない人生を精一杯生きるしかない。悲壮感はまったくない。
<小林千登勢>
本名・山本千登勢。1937年2月13日、旧朝鮮・京城(ソウル)生まれ。文学座研究生からテレビ草創期のNHKと専属契約を結び、数多くの名作ドラマに出演。59年「輪唱」で共演した馬淵晴子、富士真奈美とともに「NHK3人娘」と呼ばれ人気を集め清純派スターとして活躍。65年に同局ドラマ「美しき遍歴」で共演した山本耕一と結婚。72年に長女を出産後、いったん女優を休業したが、74年にNHK朝の連続テレビ小説「鳩子の海」でヒロインの育ての母を演じた。
■女優・小林千登勢さんの見事な覚悟(2009.03.26 Thursday name : kajikablog)
少し暖かくなると、今年も秋までは生きれるとボンヤリ思う日々が多い。77歳の喜寿を超えたこともあるが、五年前に血液のガンである骨髄腫の告知を受けて、余命は三年から五年と知ったことがある。
ジャーナリスト仲間の多くは、すでにこの世を去った。私たち昭和ヒトケタ世代は、伸び盛りの少年期には食糧難でロクなものを食っていない。それがジャーナリストになって贅沢なものをタップリ食べることが出来た。身体にいい筈がない。
50キロそこそこのガリガリ亡者の身体が、いつの間にか80キロを越すデブになってしまった。腹を突きだして国会の赤絨毯を歩く身になってしまっている。定年55歳の時代だったから、同じ様な体型の先輩記者たちが60歳前後に相次いで亡くなっている。
自分もそういう身だと覚悟はしていた。だが可愛い二人の娘の結婚式だけは見届けたいと酒を飲む度に思ったものである。その長女も来年は50歳、次女も45歳は軽く越えた筈である。骨髄腫の告知を受けた時には、父親としての勤めは終わっていると、むしろ平穏な気持ちでいることが出来た。
私の好きな女優の小林千登勢さんは2003年11月に多発性骨髄腫で亡くなっている。6年前に骨髄腫の疑いを持たれ、3年後に正式に骨髄腫の告知を受けている。それでも女優業を続けながら病気と闘い続けていた。見事な覚悟だと思う。
多発性骨髄腫は多くの臓器に影響を与えるため様々な徴候が発生する。高カルシウム血症(Calcium)、腎障害(腎不全)(Renal failure)、貧血(Anemia)、骨の損傷(Bone lesions)など。発性骨髄腫に侵された骨をレントゲン撮影すると、骨に穴が開いているように見えるという。
毎月のように腎臓内科と血液内科の医師から病気の進行状況を検査されている。だが不思議なことに5年前の症状が一向進んでいない。どうせ3年から5年の余命だと観念しているので、タバコは吸い放題、酒も平気で飲んでいる。ただ感染症に罹りやすい身体になってしまったので、外出は極力控えている。ガンを押さえる投薬もしていない。
骨髄腫は黒人には多いが、白人には少ないという。黄色人種の私たちには多い病気なのかもしれない。米国の医学界は効率主義が徹底しているので、白人に少ない骨髄腫の治療方法が進んでいないという説を聞いたことがある。
4月になると7日が腎臓内科、9日が血液内科の診療日となっている。骨が痛くなる症状がまだ出ていないので、二人の医師が首を傾げると思うと若干痛快な気持ちになる。私の身体は特異体質なのかもしれない。まあ、生きれるだけ生きようと不敵な開き直りに徹している。
杜父魚文庫
16379 どういうわけか、きょうは小林千登勢さん 古澤襄
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いきてるいじょうは、すこしは、ひとさまのお役に立てるよう、こころがけてますが、古さんには、敬服。