16417 救急車で総合病院の救急医療センターに担ぎ込まれた   古澤襄

地獄の入り口から舞い戻ってきた、というと大げさなのかもしれない。私は骨髄腫の闘病記録をブログに書いてきている。同じような骨髄腫に悩む同病の友たちに対するメッセージと思っている。
だが、骨髄腫が原因でなく、膀胱に通常人350CCの尿の三倍以上の尿が溜まって排泄できなくなり、これが原因で風船のように膨れあがった膀胱が心臓や肺を押し上げて呼吸が困難になった。二〇日正午過ぎに救急車で取手の総合病院の救急医療センターに担ぎ込まれた。
と書けば僅か三、四行の顛末記なのだが、いくつかの教訓がある。私たちの世代は戦争の時代に少年時代を送ったので、困難さを精神力で乗り切ろうという傾向がある。
自分の身体に変調をきたしていると自覚したのは17日。人間は一日に1500CCぐらいの水分を摂取して、ほぼ同量の水分を尿として一日に7回から8回で排泄している。17日は尿の排泄が一回もなかった。レプラミドの副作用と思い、あまり気にとめなかった。これが素人の生兵法。
18日になると排便も難渋する。食欲もなくなり、睡眠も出来ない。17日、18日も一睡もできなかったが、国会の徹夜本会議取材で鍛えてあるから、これも気にしなかった。寝たくなれば、10時間もため寝すればいいという心境。
19日になると寝床から立ち上がるのにも難渋する。そこで、ようやく明日にはかかりつけの竹内先生の往診を頼もうと決めた。町医者の竹内先生は私の骨髄腫を最初に発見してくれた、いうなら命の恩人。身近にこういう町医者がいることが、欠かせない。総合病院で腎臓内科と血液内科の二人の専門医の世話になって10年以上になるが、やはり町医者にも敬意をもって接するのが長生きの秘訣ではないか。
20日、二人の娘たちに身体に変調をきたした旨のメールを送り、そのメールを持たせて女房を竹内病院に行かせた。もう立ち上がる気力もない。17日からほぼ絶食状態だから、睡眠不足もあって当然のことである。
20日正午過ぎに竹内先生が看護婦さんと二人で駆けつけてくれた。一目見て、触診のうえ「これは膀胱がパンパンに膨らんでいて、内臓が押し上げられている危険な状況」と診断、救急車を手配し、総合病院の救急医療センターの担当医に連絡。
そこで気がついた。同じ病状で、親友だった沢内村長の加藤昭男さんを数年前に失っている。
あとは15分ぐらいで救急医療センターに搬送され、担当医、研修医、二人の看護婦さんが待機していてくれて、チンポ(失礼!)のさきからカールテルを入れ、溜まっていた尿を抜き取った。
みるみる中に膨らんでいた腹部が平常に戻り、呼吸も楽になる。町医者と総合病院、救急車に3人いた”医師もどき”との40分ぐらいの連携プレーで、言うなら「地獄の入り口から舞い戻ってきた」。
杜父魚文庫

コメント

  1. momo より:

    根性がある!!!

  2. 大橋圭介 より:

    よかった。ぼくは、5月11日、痔の手術をうけた。下半身麻酔をかけたので、尿が膀胱に溜まり、看護師さんに、古さんと全く同じやりかたで、膀胱を空にしてもらった。強い麻酔だったので、自然に小便がでるまでに、時間がかかった。
    しかし、三日も尿がでなくて、よく我慢したものだ、だすものは、毎日ださないと、死を招いたしまう。
    これも、80の手習いかな。

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