16420 五・一五事件と二・二六事件   古澤襄

現代史懇話会を主催した田々宮英太郎さんは、戦前の陸軍・政治記者。戦後は改進党を担当、郵政大臣秘書官ついで文化放送社会報道部長を歴任した。戦前の軍事・政治史について滅法詳しく、現代史懇話会の代表になってから千葉県市川市で晴耕雨読を楽しみながら執筆活動を続けている。
著書だけで私が知るだけでも17冊。現代史懇話会は「史」という年に4回の機関雑誌を発刊、保阪正康さんら錚々たる執筆陣が論陣を張っていた。私もメンバーの末席に加えて頂いた。
■田々宮英太郎さんの著作
①『神の国と超歴史家・平泉澄 – 東条・近衛を手玉にとった男』 雄山閣出版 2000年
②『権謀に憑かれた参謀辻政信 – 太平洋戦争の舞台裏』 芙蓉書房出版 1999年
③『検索!二・二六事件 – 現代史の虚実に挑む』 雄山閣出版 1993年
④『参謀辻政信・伝奇』 芙蓉書房出版 1986年
⑤『中野正剛』 新人物往来社 1985年
⑥『二・二六叛乱』 雄山閣出版 1983年
⑦『橋本欣五郎一代』 芙蓉書房出版 1982年
⑧『裁かれた陸軍大将』 山手書房 1979年
⑨『吉田鳩山の時代』 図書出版社 1976年
⑩『昭和権力者論 – 激動50年の政治権力史』 サイマル出版会1972年
⑪『昭和維新 – 二・二六事件と真崎大將』 サイマル出版会 1969年
⑫『人われを異端と呼ぶ – 昭和史の人間ドラマ』 富士新書 1967年
⑬『大東亜戦争始末記 自決編』 経済往来社 1966年
⑭『日本の政治家たち』 路書房 1965年
⑮『昭和の政治家たち – 日本支配層の內幕』 弘文堂 1963年
⑯『新・政界人物評伝』 中央経済社 1958年
⑰『鳩山ブームの舞台裏 – 政治記者の手記』 実業之世界社 1955年
その田々宮英太郎さんから「五・一五事件と二・二六事件の違いが分かるかい」と聞かれたことがある。「さあ、海軍の起こしたクーデター計画が五・一五事件で、陸軍が起こしたのが二・二六事件ですか」と至極、教科書的な返事しか出来なかった。
ニヤリと笑った田々宮さんは「クーデターに参画した青年将校に対する処刑が違うのだよ」と解説してくれた。
昭和7年5月15日に発生した五・一五事件で、資金と拳銃を提供したとして大川周明が検挙、理論的指導者と目された橘孝三郎がハルビンの憲兵隊に自首。
クーデターの実行犯として事件に関与した海軍軍人は海軍刑法の反乱罪の容疑で海軍横須賀鎮守府軍法会議で裁かれ、陸軍士官学校本科生は陸軍刑法の反乱罪の容疑で陸軍軍法会議で、民間人は爆発物取締罰則違反・刑法の殺人罪・殺人未遂罪の容疑で東京地方裁判所でそれぞれ裁かれている。
事件は犬養首相の暗殺という衝撃的なものだったが、当時の政党政治の腐敗に対する国民の反感から青年将校たちに対する助命嘆願運動が巻き起こり、最高刑で反乱罪で禁錮15年、死刑はなかった。
四年後の昭和11年2月26日の二・二六事件は、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い岡田首相がいる首相官邸に乱入、さらに鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣らを襲撃している。規模としては五・一五事件の比ではない。
テロではない本格的なクーデター計画だった。
しかし本庄繁侍従武官長は決起した将校の”昭和維新”の精神だけでも何とか認めてもらいたいと昭和天皇に奏上。これに対して天皇は「自分が頼みとする大臣達を殺すとは。こんな凶暴な将校共に赦しを与える必要などない」と激怒して叛乱軍の鎮圧を命じた。
この際に天皇は本庄に「壬申の乱を知っているか」とご下問。本庄は答えられなかった。
壬申の乱は日本古代最大の内乱戦争。天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえし、反乱者である大海人皇子が勝利している。
田々宮英太郎さんは「壬申の乱を知っているか」と言った天皇の一言が、二・二六事件に対する昭和天皇の危機感を示していると解説した。具体的には陸軍皇道派の青年将校から圧倒的な人気があった皇弟・秩父宮が念頭にあって、陸軍を二分する争いだけでなく、皇室を巻き込んだクーデターになる恐れを感じていたとする。
緊急勅令による特設軍法会議の設置され、第一次判決で16名の青年将校が反乱罪で死刑、背後関係者として北一輝、西田税の2人が死刑判決を下され翌年の8月までに処刑された。これによって青年将校たちに同情的だった陸軍皇道派の将星たちは一斉に予備役などに追い落とされ、陸軍は統制派一色に塗り替えられた。
杜父魚文庫

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