16571 徐才厚失脚でもっとも震えあがった瀋陽軍区に大なた    宮崎正弘

■軍区内部、厳重検査を開始、三年以上の勤務幹部170名は配置換え
瀋陽軍区に激震が走った。軍人ひとりひとりの履歴を洗い直し、とくに人脈的なつながり、ポストを利用した特権の有無などを調べるという。
「すでに三年以上、瀋陽軍区に勤務する幹部170名には六月末をメドに他の軍区への移動命令が用意されている」(多維新聞、7月12日)。
最大の理由は瀋陽軍区が旧満州の全域をカバーし、近年は北朝鮮対策のため、もっとも先端的な装備を供与され、北朝鮮の暴発に備えて第二軍である「人民武装警察」にかわって人民解放軍が国境警備、入国管理も担ってきた。瀋陽軍区は30万から40万の軍人が配備され、となりが首都防衛の北京軍区、対岸が済南軍区である。
じつは徐才厚は、瀋陽軍区での勤務が長く、人脈のつながりとどろどろした地縁の深さがある。徐才厚は遼寧省互房店市(旧満州奉天)生まれ、ハルビンでエンジニアから出発し、軍に入隊後は長春が拠点の第十六集団軍でめきめき頭角を表した。
その後、「第十六集団軍」の政治部主任をつとめ、92年には解放軍報社社長兼済南軍区へ。1997年には中央委員に抜擢され、胡錦涛の十年間、徐はまさに「江沢民のお目付役」として軍ににらみをきかせた。
軍事委員会を江沢民色に塗り替える際に、軍隊内でもっとも活躍したのは干永波で1992年に総政治部副主任に抜擢されてのち、この干に引き立てられるかたちで徐才厚は、出席階段をばく進した。同時に汚職にも手を染め、谷俊山から膨大な金塊や香港ドルを現金で受け取っていたという。
1999年に徐才厚は軍事委員会委員(十名の内の一名)にとんとん拍子でまいあがり、中央軍事委員会書記などを経て中央軍事委員会副主任(事実上のナンバー・ツー)となって江沢民の軍権掌握の右腕として大活躍した。
▲江沢民の軍権掌握の過程で、同時に軍の腐敗も始まった
江沢民は軍の汚職腐敗には目をつむり、ひたすら予算を二桁増加させることで軍隊の中での人気を高め、高級軍人ら軍事委員会を江沢民派で寡占し、これをもって軍権掌握の安直な方法としたわけだが、他方で軍隊の士気低下と天文学的腐敗はとどまることがなかった。
だから午後五時から軍事基地は宴会場と変わり、軍経営のホテルは淫売窟に化けて、軍事訓練は手抜き、サボタージが横行した。
軍事委員会副主任の十年間に徐は出身母体である瀋陽軍区の拡充に力点を置いて、着々と軍区掌握に努めてきた経緯がある。
とくに出身簿他とされる第十六軍は長春が拠点だったが、もともと最初の共産党の軍事蜂起{南昌起義}に参加し、やがては朝鮮戦争にも参加したエリート部隊。しかし近年は装備の劣化にともない、第四十六機甲部隊への改編がなされたという。
ところが奮い情報に乗っ取って、第十六軍が主役となって瀋陽軍区が反旗を翻すなどとする風評が大手を振ってまかりとおるほど、人民解放軍のなかで瀋陽軍区の勢いはつよいものがあった。
現・軍事委員会副主任の氾長龍も1995年から五年間、軍長をつとめている。今回の瀋陽軍区への大なたは、この徐才厚派を絶滅することに置かれているようだ。
(読者の声)直近の統計で日本人の海外渡航先が台湾がトップに、韓国は十位以内からも脱落したことが分かりました。
結果は1位が台湾で、以下、2位:ハワイ、3位:シンガポール、4位:グアム、5位:イタリア、6位:ベトナム、7位:フランス、8位:米国 (本土)、9位:香港、10位スイスの順番でした。中国と韓国での「反日」にすっかり嫌気がさしたのでしょうね。(UI清、千葉)
(宮崎正弘のコメント)これまで日本人の海外渡航先で一位だったのは韓国、二位は中国でした。隔世の感がありますね。中国と韓国は仲良くランク外に転落したようです。
まさに拙著『仲良く自滅する中国と韓国』(徳間書店)の世界?同時に世界最大の親日国家=台湾、そして独裁国家なのに中国と果敢に戦うベトナムが六位に躍進とは、同情が増えたのかも知れません。
当該国家の民度に日本人がいかに敏感であるかという事態も示唆していますが、3位にシンガポールがあるのは同国が近年、「反日路線」をやめたからだと推察できます。
杜父魚文庫

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