ナレンドラ・モディ・インド新首相が7月に訪日することで、両国が折衝していたが、インド議会の都合によって、8月に延期された。
5月に、12億5千万人のインドで総選挙が行われ、63歳になるモディ氏が率いる、インド人民党(BJP)が圧勝した。
BJPは、543議席の下院の282議席を制した。2009年から政権を握っていた国民会議は、206から414議席まで減らして、惨敗した。
■インドの政治変革
インドが1947年に独立してから、最大の政治異変である。
それまで、モディ氏はアラビア海に面する郷里のグジャラート州首相をつとめて、州の経済を大きく発展させた。
モディ新首相は就任演説のなかで、「21世紀を、“インドの世紀”にする」と、公約した。モディ政権の登場は、日本とアジアに明るい展望をひらくものである。
インドと中国は30年前まで、ともに国民1人当たりの所得が300米ドルで、轡(くつわ)を並べていた。
ところが、その後、中国が目覚しい経済発展をとげて、6700ドルを超したのに対して、インドはその4分の1にとどまっている。
インドの経済成長率は、10年前に10%に達していた。このところ、インドは4.5~5%に落ち込み、9%を超える高いインフレが進んで、庶民生活を圧迫している。
■モディ首相の決断
モディ首相は財政を建て直し、大きく遅れたインフラを整備するかたわら、錯綜した行政機構を合理化して、大胆な改革を断行しなければならない。
モディ新内閣をみると、国民会議の前内閣が79人の閣僚を抱えていたのを、45人まで減らしている。それでも、なかに鉄道相、道路交通相、民間航空相、農業、加工食品、食品流通の6人の閣僚がいる。
私は80年代からインドにボランティアとして足繁く通って、政府に厚遇されるようになった。
■インドとの絆の由来
私は終戦の年に国民学校(小学)3年生だったが、幼な心に日本がアジアを興すために戦っていると教えられ、長じてからも、明治以来の国民の願いだった、興亜の大業の夢を継ぐことに、情熱を燃やしてきた。
80年代では、日本で学ぶインド人留学生が、100人に足りなかった。私は有志とともに、ネール大学の協力をえて、ニューデリーに高校生に日本語を無料で教える学校を開設して、成績のよい生徒を、日本の4年制大学に全額負担して留学させて、卒業させた。
日本はインドが冷戦下でソ連と結んでいたことから、インドと疎遠になり、インド市場に大きく出遅れていた。
■日印親善協会の目指すもの
私は日印親善協会(JIGA・Japan India Goodwill Association)を立ち上げて、会長をつとめたが、インド側で対応して、ラビ・レイ元下院議長を会長とするJIGA INDIAをつくってくれた。
私は1997年に、ニューデリーで催された、インド独立50周年記念式典に参加した。多くの催事が行われた。
■一国の独立とは何か
ラビ・レイ元下院議長が、「日本が日露戦争に勝ったことによって、インド国民が勇気づけられて、独立運動に立ち上がった」と挨拶した。法曹界の重鎮であるレイキ博士が、インパール作戦に触れて、「太陽が輝き、月光が大地をうるおし、満天に星が瞬く限り、インド国民は日本国民への恩義を忘れない」と訴えた。やはりJIGAのメンバーである。
イギリスの著名な歴史家ホプスバウ教授が、20世紀を振り返った大著『過激な世紀』のなかで、インドの独立がガンジー、ネールによる独立運動ではなく、日本軍とインド国民軍が協同して、インドへ侵攻したインパール作戦によってもたらされたと、述べている。
■訪印団200人の心意気
2006年に、山田宏杉並区長(現衆議院議員)が団長となって、100人以上の地方議員が、訪印した。さらに一行に、100人あまりの有志が加わった。私も誘われて、顧問として同行した。
ニューデリーに到着したところ、山田団長から「大統領と会見できないものか」と、求められた。私が官邸に連絡したところ、「喜んでお会いする」が、セキュリティのために10人までにしてほしいとのことから、籤(くじ)引きをしてもらった。
■インドと兄弟国になろう
アブドゥル・カラム大統領と1時間にわたって歓談したうえで、官邸の美しい庭を自ら案内してくれた。大統領は、高名なミサイル科学者である。壮麗な大統領官邸は、かつてイギリス統治時代の総督府だった。
私はこの前のBJP政権のフェルナンデス国防相と、同志だった。インドはフェルナンデス国防相のもとで、1998年に核武装した。
核武装した直後に、私はフェルナンデス国防相を国防省の執務室に訪ねた。
国防省も、かってのイギリス総督府のなかにある。広い執務室の壁に、以前からガンジー翁の肖像が1枚だけ飾られていたが、もう1枚、広島の原爆記念ドームの大きなカラー写真が加えられていた。
フェルナンデス国防相が、私に「どうして、この写真がここにあるのか、分かるかね?」と、悪戯っぽくたずねるので、「核兵器を持っていないと、核攻撃を誘うことになるからでしよう」と、答えると、深く頷いた。
フェルナンデス国防相から招かれて、参謀総長以下の軍幹部に講演して、中国に触れたことがあった。
中国はインド北東部のアルナチャルプラデシュ州の大きな部分を奪って、占領しているが、全部が中国固有の領土だと主張している。
私は中国が当時、日本の尖閣諸島を含めて、同時に5つの国に対して、不当な領土要求を行っていたが、中国の指導部は権力闘争によって、意志を統一することができず、思考が尊大な華夷思想、あるいは中華思想によって、頭がすっかり蝕まれているために、戦略的思考ができないと、述べた。
そのうえ、軍が上から下まで腐敗しきっているから、全面戦争を戦う能力がなく、国内の事情によって追い詰められて暴走して、軍事的な冒険に乗り出さないかぎり、恐れることはないと、指摘した。
今日、中国は、日本、インド、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、ベトナム、フィリピンの7つの国から、同時に領土を略取しようとして、孤立するようになっている。だが、7ヶ国の人口を合計すると、20億人を超えている。経済力も、中国を上回る。
これらのアジア諸国に加えて、オーストラリア、ニュージーランドも、中国の傍若無人な海洋進出を、強く警戒するようになっている。アメリカも、ようやく目を覚ました。
■モディ首相の最初の訪問国ブータン
5月にシンガポールで催された、「シャングリラ対話」と呼ばれたアジア安保会議では、安倍首相とヘーゲル国防長官が口を揃え、日米両国が連携して、中国が地域を不安定化させており、力によって変更しようとしていることを、強く非難した。
これに、ASEAN(東南アジア連合)諸国も、同調した。中国はアジアにおいて、孤立せざるをえなかった。
安倍首相の“地球儀を俯瞰する外交”に、拍手を送りたい。ひと口でいって、中国の指導部は愚かなのだ。
ブータンも中国と国境紛争を、かかえている。モディ首相はブータンを重視し、就任後最初の訪問国として、ブータンを訪れている。
■モディノミックスの可動
モディ首相が7月に訪日を予定していた直前に、ブータンのトブゲィ首相が来日した。
モディ首相はナショナリストだ。いま、インドでのマスメディアによって「インドのアベ」と呼ばれ、「モディノミックス」という新語が登場している。
安倍外交を発展させて、日印関係を深化することが求められる。
杜父魚文庫
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