排尿ができなくなって膀胱が風船のように膨らみ、呼吸困難になって救急車で救急病棟に担ぎ込まれて、初めて救急医療の重要さを認識した。救急医療について赤坂の料理屋で徳洲会の徳田虎雄さんから熱弁をふるわれたことがある。
十年以上も前のことだったろうか。渡辺美智雄元副総理の従弟・幸雄さんから頼まれて徳田氏と会うことになった。ミッチーの兄貴・嚆夫さんからも「徳田虎雄は大の”田中角栄嫌い”だが、福田赳夫には心服している。ここは福田番だった先生にも出馬願いたい」とおだてられた。
正直にいって政界の一匹オオカミのような徳田虎雄には興味がなかった。福田赳夫さんから徳田虎雄のことを聞いた記憶もない。
料理屋にいったら徳田氏がすでに来ていた。嚆夫さんと幸雄さんは、あろうことか私を徳田氏の正面に座らせる。迷惑このうえもないが、話の接ぎ穂がないから「先生の角栄嫌いは本当ですか」とズケズケ聞いた。
「角栄は日本医師会の走狗です。私は日本医師会と喧嘩しながら、救急医療のために医療法人徳洲会を設立した。福田赳夫さんは私の主張を聞いてくれた」。そして徳洲会傘下の病院や診療所は全国で100近くになったと胸を張った。
救急医療・・初めて聞く言葉である。
それから徳田氏の独演会が始まった。鹿児島県大島郡の徳之島町出身である徳田氏は、離島であるがために実弟が救急医療を受けられず亡くなった昔話を涙声で語った。こういう話には滅法弱い。私が感動している様をみて徳田氏は
「私の病院を見てくれませんか。明日にでも鹿児島に来て頂ければ、奄美群島の病院をヘリでご案内しますよ」
明日といわれても、こちらにも都合があるので、来週に嚆夫さんや幸雄さんと一緒に鹿児島に乗り込むことになった。徳洲会の救急医療を実地で見てみたいという意欲に駆られたからである。
二泊三日の強行軍になったが、離島の病院をいくつか見学して重症患者を送るヘリコプターなど手厚い救急医療体制を見ることが出来た。医師たちは患者からの贈り物は一切受け取らない。そんな聖職者のような医師がいるのかと半信半疑だったが、昼食をともにした若い医師が
「徳洲会傘下の病院が増えたので最新の医療器具が使える魅力がある。医師は収入よりも医療器具に心を惹かれるのです」と言った。この言葉には嘘がないだろう。
温泉別荘の開発で財をなした幸雄さんは、医療と別荘をドッキングさせた”新しい村造り”を考えていた。その医療は針・灸・薬草の東洋医学で中国から数人の医療従事者を招待するという。
帰りの飛行機のなかで「救急医療と東洋医学では合わないのじゃーないの」
と幸雄さんをからかったのだが・・・。その幸雄さんもいまは亡い。徳田氏は難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)で病床にある。
杜父魚文庫
17039 救急医療と徳洲会・徳田虎雄さん 古澤襄

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