17101 おにぎり朝食で長生きをする    古澤襄

ここ10年来、血液のガンである骨髄腫の治療に努めてきた。毎月、総合病院の腎臓内科と血液内科に通い、一週間の検査入院をしたこともある。
それが三月の採血検査と尿検査で症状が悪化していると診断され、抗ガン剤の服用をするか、長期入院して治療方法を変えると告げられた。
二人の主治医に私の身体を預けてきたからその指示に従うしかない。昨年暮から自分の身体の変調には気がついていたからである。いよいよ年貢の納めかと比較的冷静な気持ちでいた。82歳になれば十分に生きたという思いがある。親しかった友人の多くが亡くなっている。
長期入院では主治医が研修医を張り付けてくれた。看護婦も一日に数回、蓄尿検査、病院食の検査、体温測定、血圧測定など朝から晩まで個室にやってくる。一週間過ぎた頃、主治医が家族の承認も得たいので新しい治療法の説明をしたいと告げた。やはり抗ガン剤の服用に踏み切るのかと感じた。
新しい治療法はレプラミドの服用で副作用があるという。抗ガン剤とは違って頭髪が抜けたりすることはないが、強い薬なので三週間服用して一週間投与を休む繰り返しになると言われた。まあ、主治医の診断に従うしかない。私の年齢は副作用に耐えられるギリギリところに来ているという。
レプラミドの投与を始めてから研修医と看護婦が頻繁に病室にやってきて、私の身体の検査も念入りになった。採血検査のデーターも研修医がその都度教えてくれる。副作用はまだ出ない。
ある日、主治医が一時退院して通院で治療効果をみようと言ってくれた。劇的に骨髄腫が良くなったわけではないが、腎臓の障害が出ていないという診断である。
通院に切り替えてから一ヶ月経った頃だろうか、尿が一日出ない障害があった。排便も出来ない。腹部がみるみる中に膨れあがり、呼吸困難になって救急車で総合病院の救急病棟に担ぎ込まれた。しかし医師は手慣れたもので、カテーテルを尿道に差し込み1000CCの尿をとってくれた。腹部も正常に戻り呼吸も楽になった。
もっとも救急病棟の応急手当はそれまでで、尿排泄障害は泌尿器科の治療を受けなければならないという。三日後に泌尿器科でカテーテルを差し込まれて尿をとったら1500CC。医師はカテーテルをつけたまま自分で栓を抜いたり栓をして一ヶ月間、前立腺肥大の治療薬を飲む様にいう。カテーテルをぶる下げた姿なんてみっともなくて人にみせられたものではない。
食欲も減退し70キロ近くあった体重もみるみる中に59キロに痩せ細った。体力も減退し、杖を使わなくて歩くこともままならない。それを診断した副院長の主治医はレプラミドの投与を一時中断し、血圧降下剤も弱い薬に切り替えて、まず前立腺肥大の治療を優先させる指示をした。
しかし体力の減退は、食事を無理にでも患者の自己努力でとることが必要であると諭された。この主治医とは10年来の付き合いだから言うことを聞くしかない。
これからが本論である。前置きが長くなってしまった。
一口に自己努力というが、食欲がないのに三食人並みに食べるのは容易ではない。食事中に吐き気がしたり、猛烈な下痢に見舞われてトイレに駆け込むことも再三再四あった。しかし自己努力の効果は一週間後に現れた。吐き気も下痢も納まり、体重も62キロに回復した。人間の身体というのは強靱なものだとあらためて覚る。
カテーテルは二ヶ月ぶる下げたが、先月にとって貰い、前立腺肥大の治療薬を継続して飲むことになった。数日後に副院長の診断を受けたが、「よく自己努力をしました。これでレプラミドの投与を再開します」と言われた。体重も67キロ、100近くも落ちて低血圧症状に見舞われた血圧も140~70。杖の必要もなくなった。
採血、採尿検査のために朝食は抜きで、朝七時半には採血室に並ばねばならない。一時間後にはそのデーターが主治医たちのPCに回ってくる。診察まで時間がある。腹が減ってくるから病院の売店に行っていろいろ物色するのだが、私の前にいた女性患者が焼きタラコのおにぎりを取った。
おにぎりなんて食べたことが久しくない。つられて焼きタラコのおにぎりを一つ。ホット・コーヒを一つ。いかにも妙な取り合わせの朝食になった。ところが焼きタラコのおにぎりの美味しいこと。
翌日、朝早く近くのファミリーマートに行って焼きタラコのおにぎりを探したが、メンタイコのおにぎりしかない。二つ買って朝食にする。美味しいが前日の焼きタラコのおにぎりの感動には及ばない。
私の家には週に三回、訪問ヘルパーが来てくれて買い物をしてくれる。そこでタラコとメンタイコ、それも北海道産のタラコと博多のメンタイコをそれぞれ二パック注文した。昨夜は女房に普段の二回分の飯を炊いて貰って、残った分でタラコおにぎりを六個作って貰った。
今朝の朝食はおにぎり。私が四個、女房は二個。久しぶりに腹膨れる満足感にひたった。朝、食パンのトーストと紅茶という食事に慣れてきたが、これからは鮭おにぎりも加えてタラコ、メンタイコのおにぎり朝食にしようと思う。ノリで包んでいるので身体にもいい。塩気があるので血圧には良くないかもしれないが、美味しい方の欲気を優先する。
今夜は鶏の唐揚げ。飯は二回分炊いて、冷めたところで私がおにぎりを握る。ノリで包んで朝温めれば朝食の手間が省ける。老夫婦の生活の知恵であろう。食事が大切なことは、身をもって知った。汚い話かもしれないが、排尿、排便も大切である。
自己努力で身体を大切にするのが、長生きの秘訣なのかもしれない。蛇足になるかもしれないが、もう一つ付け加えたい。
それはシベリアのソ連収容所で果てた六万四〇〇〇の日本人(ソ連東洋アカデミー資料)の思いに重なる。父・古澤元はじめ多くの日本人は栄養失調で倒れた。あの人たちに日本のおにぎりを食べて貰いたかった。
私が食事にこだわる根っこには栄養失調死した日本人に対する鎮魂の思いがある。二度にわたるシベリア墓参の旅もそこにある。
杜父魚文庫

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