17103 朝日の慰安婦「検証」結局は言い訳・責任逃れ・開き直り    古澤襄

■反国家的新聞の日本否定は今後も続く
「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付の朝日新聞紙面、慰安婦問題での批判の高まりを受けて、朝日新聞が自社報道について「検証」した。とはいうものの結局、言い訳、責任逃れ、開き直りが基本。たちが悪い。
8月5日の1面に編集担当のいわば前口上を載せ、5、6両日とも2ページを使って自社が行ってきた慰安婦報道を特集した。「慰安婦問題の本質 直視を」と見出しがついた前口上では、一連の記事の一部に誤りがあったことを認めたが、「90年代初め、研究は進んでいませんでした」。これを言い訳という。
あさましいのは、「似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました」のくだり。これを責任逃れという。
そして「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません」と強制性の解釈の幅を変え、「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と結んでいる。これを開き直りという。
事実誤認を含んだ朝日のキャンペーン的な報道で、日本軍が人さらいのごとく女性を「強制連行」し、「奴隷」として扱ったかのような印象が世界に広まり、日本の名誉をはなはだしく傷つけているというのが「慰安婦問題の本質」であって、朝日はそれを直視せねばならない。
■言い続ける「強制性」
特集面も姿勢は変わらない。5日は、自社の報道を「検証」している。このうち、済州島で女性を強制的に連行したとする男性の話を繰り返し記事にしたことについては、虚偽と認め記事を取り消すとし、「慰安婦」を「女子挺身隊」としたことについても「誤用」とした。
評価したいところだが遅すぎる。最初に男性の話を報道してから32年、この間に国際社会の誤解はこれ以上ないほど広まってしまった。
■終戦の前日、社説で「闘魂、一億の火の玉を消せない」と戦意あおった朝日新聞
「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付の朝日新聞紙面。
ほかは先述のごとく、言い訳、責任逃れ、開き直り。特に、強制連行の有無についての開き直りぶりは、ここに至っても変わっていない。強制性を人さらいのような狭義のものと、広義のものに分け、「女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があった」と結論づけた。
慰安婦問題についての特集を載せた平成9(1997)年3月31日の社説でも、朝日は「全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らかである」としている。今回、6日の紙面では学者らから朝日への応援談話を取りつけた。
過去を直視することに筆者は異を唱えない。しかしそれが一面的な断罪によるものであってはならないことは、いうまでもない。慰安婦が高い報酬を得、自由もあったことも指摘されている。
■原点は過去への批判と精算
なぜ朝日新聞はこれほど激しく日本の過去を忌み嫌い、日本という国を悪く書くのだろう。それは朝日の、戦後の再出発に起源を持つと筆者は見ている。
日本の新聞は第二次大戦が終わるまで、戦争にくみした。多くの教訓をくむべき過去である。
終戦前後の朝日を見てみる。昭和20(1945)年8月14日、「すでに幾多の同胞は戦災者となっても、その闘魂は微動だもせず、いかに敵が焦慮の新戦術を実施しようとも、一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない」と社説でなお戦意をあおった。終戦当日も「再生の道は苛烈」と呼びかける記事で、「国体を護持し得るか否かは、片々たる敵の保障にかゝかるのではなく、実に日本国民の魂の持ち方如何(いかん)にかゝる」とした。後者の文など、しごくまともだと思う。
■変わり身の早さ…結果が一連の慰安婦報道、名ばかり検証、開き直り
「慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます」と題した8月5日付の朝日新聞紙面。
ところが変わり身も、驚くほど早くなされてしまうのである。20年10月24日、「朝日新聞革新 戦争責任明確化」という記事を掲げ、社長、会長が社主の地位に退くこと、全重役らが辞任することなどを明らかにした。「新聞の戦争責任清算」と題したその日の社説は、こう記している。
「固(もと)より新生日本の出現のために、この種の過去一切への仮借なき批判と清算とが必要なる第一歩をなすことは確かに否めない」
それは戦後日本の知識人層が抱いた思いでもあった。戦後進歩的知識人の代表である政治学者の丸山真男など、自分の仕事についてこういっている。自分の本が日本社会の病理学的側面にのみ偏執的な関心を抱いていると見られ、また絶望的な自虐の表現を見て取られても、不自然ではない、と。
戦争への反動としての「過去一切への仮借なき批判と清算」「絶望的な自虐」--これが戦後日本の左傾の、そして戦後朝日の出発点なのだ。
■「反日」の自己増殖
それは多かれ少なかれ、戦後の多くのメディアに共有されたものであったかもしれない。しかし日本という国家のためにメディアはどうあるべきかを考え、軌道修正する期間は長すぎるほどにあった。朝日はそれをしなかった。「過去一切への仮借なき批判と清算」を自己増殖的に続けた。その結果が1990年代以降の慰安婦報道であり、検証とは名ばかりの、今回の言い訳、責任逃れ、開き直りである。
■名ばかり検証が、また韓国を喜ばせてしまった…反国家的新聞
筆者は過激な言い方は好まない。だが、日本という国の「過去一切への仮借なき批判と清算」を身上とするとは、簡潔にいえば反国家的、反日的であるということだ。今回の朝日の「検証」を受けて、韓国メディアは喜んだ。「朝日新聞、右翼に反撃」などと。
反国家的新聞の面目躍如ということだろう。そういうものとして朝日新聞を見ておこう。(産経・河村直哉大阪正論室長)
杜父魚文庫

コメント

  1. momo より:

    古澤さん、体調はいかがですか。 MoMotarou
     安倍総理がなぜこの時期に小国スリランカに行ったわけを考えておりました。
     慰安婦問題に付き物の「クマラスワミ報告」にあるのかと。圧力をかけるの狙いがあるのでしょう。
    「クマラスワミ報告」
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    クマラスワミ報告(クマラスワミほうこく)とは1996年1月から2月にかけて国連人権委員会に報告された「女性への暴力特別報告」に関する報告書(E/CN.4/1996/53) 。スリランカ人の特別報告官ラディカ・クマーラスワーミー(現・国際連合総務) の名前をとって日本では「クマラスワミ報告」もしくは「クマラスワミ報告書」と呼ばれ、特に同年1月4日に提出された日本の慰安婦について論じた附属文書1「戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書」を、日本における慰安婦問題に関する議論では指す[1]。同付属文書1(Add.1)は、クマラスワミ報告は現在の女性問題についての報告を目的としていたが、韓国の市民団体からの「被害者は現在も生存している」という強い働きかけを受けて付録された文書である[2]。附属文書2(Add.2)は「家庭内暴力に関する立法」である。
    報告書は1996年4月国連人権委員会で作業を「歓迎」し内容を「留意」するという決議が行われている。
        

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