九月に入れば、内閣改造があるという情報が七月から流れていて、案の上、九月に入って一週間、国会周辺の話題は内閣改造で、NHK近くの公園はデング熱の蚊の話題だ。つまり、我が国は国内に集中しているわけだ。
石破氏がどうするか、すねているのかいないのか、閣僚に女が何人か、そんなこと、連日報道されるべきことか。安倍内閣は、平安朝の宮廷でもあるまいに。
閣僚人事に関しては、我が国を取り巻く内外の厳しい情勢に対して、適任か否か、有能か無能か、賢いか馬鹿か、政治家として信念があるのかオポチュニストか、これを報道すべきだろう。
この基準から見れば、女か男かは、関係ないではないか。我が国は、政界に限らず官界や民間においても、イギリスの首相だったマーガレット・サッチャーやイスラエル首相だったゴルダ・メイヤという偉大な女性指導者を侮辱するような風潮(つまり女性蔑視)を払拭しなければ、厳しい国際情勢に対処できなくなる。
その果てに、改造内閣を報じた新聞の見出しが、「自民各派に歓喜と落胆」だとよ(九月五日)。
この見出しは、この度の内閣改造も、自民党内の「利の分配」として行われたことを伝えるものだ。もはや今は「平時」ではないのだから、これは「乱世」の今、やってはいけない第一のことであった。
西郷さんが言われておるではないか。「その職に任へぬ人を官職を以て賞するは、善からぬことの第一也」と。
また、およそ首相、閣僚及び政治家は、西郷さんが言われた次の言葉を忘れずに、常に自分のことではなく国家のことを思っていなければならない。
「よくその職をに任ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち、天意也。それ故眞に賢人と認むる以上は、直ちに我が職を讓るほどならでは叶はぬものぞ。」(西郷南洲遺訓)。
この西郷さんの言葉に従い、閣僚を変えるか否かの時は、総理大臣も含めて、一度閣僚自身に自己申告をさせてはどうか。「私よりは、彼、彼女のほうが、国家のために適任であります」と。
よって、この度の内閣改造という政治空白に関して言っておく、「戦後体制からの脱却」を掲げる安倍総理が、「戦後体制の枠内」で戦後体制の手法に頼って政治をしていると。
「政治空白が生まれる行事としての内閣総入れ替え」、を繰り返す必要はない。
安倍総理は、戦時中のつもりで、電光石火、内閣において、不適任者を外し適任者を入れればよい。
かつてアメリカ大統領が、朝鮮戦争中にマッカーサー総司令官を解任し、ベトナム戦争中にウエストモーランド参謀総長を解任したように。
次に、朝鮮総連の許宗萬議長と幹部一行が、北朝鮮に行くために日本を出国した。
先のストックホルムにおける日朝局長級会談で、北朝鮮が、拉致被害者の再調査の特別委員会を設置すると約束し、これを受けて我が国が制裁を解除し、彼らが、我が国への再入国ができるようになったからである。
しかし、拉致した日本人を何処かに収容して住まわせている北朝鮮当局は、常時、拉致被害者が何人で何処に収容しているかは知っている。従って、何も、特別委員会を作らなくとも、北朝鮮は、すぐに、日本に対して拉致被害者全員の報告ができるはずだ。
ところが、未だに、北朝鮮から報告が来ない。よって、我が国内閣は、この度出国した許宗萬議長らの再入国は、北朝鮮から拉致被害者全員の誠意ある完全な報告があるまで、「留保する」と表明すべきである。
つまり、報告に、誤魔化した点が少しでもあるならば、せっかく出ていってくれた朝鮮総連幹部の再入国を拒否するのだ。成り立てほやほやの大臣、大丈夫か。
何度も、いう。ウクライナ情勢を軽くみてはならない。西側が「対露制裁」を強化すれば、何が改善方向に動くとマスコミ論調も思っているようだが、ウクライナそして中東の情勢は、世界情勢が、十九世紀半ばに戻りつつあることを示している。
よって、我が国は、十九世紀半ばの幕末の日本が湧き上がらせた危機意識を再び甦らせ、二十一世紀の国家防衛と国家存続を確実なものにしなければならない。私は、この観点から、安倍内閣の改造を注視していた。答えは、既に書いた。
杜父魚文庫
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