■ISIL(イスラム国)の究極の戦争目的は何なのか?
イラクの政治的統治はもはや絶望的になった。
オバマ大統領がペンタゴンの反対を押し切っての時期尚早の撤兵は、いずれ後世の歴史家から厳しく批判されることになるだろう。
六月に米国はマリキ前政権を見限った。米国傀儡といわれたマリキ政権はむしろ、イランに接近し、シーア派を重視してスンニ派を弾圧したからだ。スンニ派は不満を高めていた。
六月にもケリー国務長官がバグダット入りし、同時期にイラク防衛のためにオバマは特殊部隊を送った。だがイラク政府軍の士気は滅法低く、敗色が濃くなって、あろうことか、北西部油田地帯から逃亡を始める。
ISIL(「イラクとレパントのイスラム圏」)は拠点のシリアから南下し、たちまちのうちにモスル、キルキーク、チクリット、ファルジャなどを軍事静圧した。
このときISILは、米軍から大量に支給されていたイラク軍の武器庫を急襲し、最新兵器多数を奪って武装を強化した。同時に逼塞していた旧バース党員(サダムフセインの残党)が反政府勢力に加わった。
外国企業のイラク撤退が開始された。欧米石油エンジニアが油田から去った。
どこにでもいる中国企業とて比較的安全と云われたイラク南部の油田から石油エンジニアの引き上げを開始した。間隙を縫ってISILは盗んで油田から石油生産を続行し、廉価で原油の密輸出を始めた。
イランは精鋭の「革命防衛隊」をイラクへ派遣すると言いだし、バグダット政権は志願兵をカネで集めた。しかし志願兵はプロの軍人でもなく、訓練不足。そのうえ武器不足である。
ISIS(イラク・レパントのイスラム圏)はシリアに投入していた外人部隊をイラクへ転戦させ、大攻勢をかける構えを崩さなかった。バグダット侵攻が目前だった。
クルドならびにヤジド族への血の弾圧、粛正が始まり、捕虜とした女性を性奴隷に、男達はつぎつぎと虐殺した。13万人ほどがトルコへ逃げた。
かれらは正統カリフ国家を僭称し、イスラム法を勝手に解釈して、敵と思われる勢力、宗派の抹殺をはかる。キリスト教徒への迫害も凄まじい。
ついには米英のジャーナリストを処刑し、その残忍な場面をネットに流した。このため欧米は激怒、オバマ政権は空爆を決める。欧米の世論が一夜にして変わったのは、このジャーナリスト処刑である。
つまり、欧米キリスト教世界に、かれらは残忍さを見せつけ、喧嘩をうった。どのような勝算があるのか、一説に欧米を巻き込んで中東を流血の巷と化かし、毛沢東の展開した持久戦にもちこむ戦略の行使とみることができる。
▼F22ラプター、シリアのISIS拠点攻撃に初登場
シリア領内にあるISILはこの頃から単にIS(「イスラム国」)と呼ばれるようになり、外国人傭兵多数が加わっていることが判明した。CIAは多くみつもって三万人のメンバーと推測していることが分かった。
9月22日、イラクのみならずシリアへ米国主導の空爆が行われ、「テロリストの本部、軍事訓練場、武器庫、食糧倉庫、財務本部、宿舎などを空爆とミサイルで破壊した」(米中央軍発表)。空爆はF22,B1、F16,F18のそれぞれ爆撃機が勢揃いした。また洋上から多数のトマホークミサイルが発射された。
オバマ大統領の決断は9月10日だった。空爆の実現までに随分と時間が必要だったのは周辺国の同意、賛意、あるいはこの空爆への協力である。米国の発表に従えば、空爆にはサウジアラビア、ヨルダン、カタール、バーレン、UAE(アラブ首長国連邦)が加わり、シリアのアサド政権には事前に通告したと一部メディアがつたえた。
アサドにとっては干天の慈雨のごとき、朗報である。
「中東の異端児」といわれるカタールが有志連合に加わったのは意外だった。カタールはアルジャジーラの拠点でもあり、産油国で唯一リベラルは政策を掲げるため周辺国と対立してきたのである。
▼イランとトルコの反応
一方でイランからの敵対的な声明もなく、シリア政府は沈黙を続けたままである。
トルコは首相が記者会見したものの、米国とアラブ諸国との協調にはノーコメント、まだトルコ政府そのものは態度を鮮明にしなかった。
トルコにはすでに百万人に及ぼうとするシリアからの難民と、国境にはイラクとの境界線も曖昧なゲリラ地区を抱えており、次の対策の方向性が見えていない。オスマン・トルコ帝国の復活の夢は遠のいた。
ともかく空爆は、これからの永い対テロ戦争の「はじまり」でしかなく、近未来にかけてISILとの戦闘は長期化する畏れがある。
米国は地上部隊をいつ導入するかという議論になる可能性が高い。オバマは国連で支持を広げ、国際社会の理解を得たい姿勢にある。意外にロシアも中国も現在沈黙を守っている。かわりに豪、フランス、ベルギー、北欧諸国が空爆への参加、すくなくとも武器供与を申し出た。
イラクの構造を複雑に図式化してみせたのはTIME(14年6月30日号)だった。それによれば次のような複雑な背後関係がある。
第一に米国とイランは対立するのにイラク政府防衛では利害が一致している。
第二にシリアのアサドを支持しているのはイランとイラクとシーア派の武装組織であり、そのイランを封じ込めているのが米国と湾岸諸国という錯綜した構図がある。
第三にアサド政権を守ろうというのは湾岸諸国とスンニ派武装組織。シリアに協調的なのがトルコとクルド族で、これら複雑にして輻輳した利害関係が絡み合いながらもISISを駆逐するために共同戦線を張ろうとしているのが米国、イラン、イラク政府とクルドという「野合」の状況が生まれた。
アルカィーダから分派して結成されたのが、このISIL(イスラム国)だが、ほかにアルカィーダ直系とみなされる「ホラサン」が注目をあつめる。
ホラサンは特殊爆弾をつかう個人テロが得意であり、残虐さにおいてイスラム国に引きを取らない。そして、このテロリスト集団は、世界各地に戦士を補充するリクルート作戦に乗り出したのである。
▼インドのハイテクシティ「ハイダラバード」からも「イスラム国」に
習近平(中国国家主席)がインドを訪問し、モディ首相と会談した。総計2兆円にものぼる新規投資をぶち挙げ、「本当か?」と首をかしげた読者も多いだろう。
これは表層のイベントであり、習近平がインドに持ちかけた主題は、じつのところ、SCO(上海協力機構)への正式メンバーの要請だった。
中国は「テロの戦い」を宣言した欧米の姿勢をむしろ評価し、「テロ対策に二重基準はあったはならない」(たとえば王毅外相の国連演説、9月27日)などとして、新彊ウィグル自治区での独立運動家弾圧を「テロリスト」対策と偽って正当化しようとしているのだ。
さて問題はインドのハイテクシティにおける異変である。
シリアとイラク北東に盤踞する過激派「イスラム国」(ISIS)は、いまや2万から3万のメンバーで、このうち6000名から7000名が外人部隊。それも西欧の白人が戦闘員に混ざり、気勢を挙げている。
「イスラム国」は世界各国にリクルート部隊を派遣し、若者を洗脳し、兵隊要員として次々と雇用しているが、警備当局は警戒を強め、先頃もインドネシアで四名、豪で15名を拘束した。
インドにもイスラム国に魔手が延びていたのだ。インドが衝撃を受けたのは、イスラム教の狂信者は措くにしても、ハイダラバードから、若者が十数名、イスラム国にリクルートされ、出国寸前だったことだ。
ハイダラバードは「インドのシリコンバレー」といわれるバンガロールと並び、IT,コンピュータ、ソフトなどを開発する先端技術が集約した工業都市、技術大学も林立するうえ、たとえばマイクロソフトのCEOにビルゲーツから指名されたのは、このハイダラバード出身のインド人だった。
インドが恐れるのは、こうした理工系の優秀な若者が、しかもヒンズーの強い町で、なぜかくも簡単に敵対宗教の過激派の武装要員にリクルートされてしまうのか、という恐るべき現実なのである。
かつて日本の某新興カルトにあつまったのも理工系、化学などの専門知識をもった若者であり、その洗脳が深ければ深いほど狂信的ドグマから抜け出すのは容易ではない。
▼パキスタンにも異変
パキスタンのムスリムの精神的指導者アジス師が最近、「『イスラム国』を支持する」と発表した。これは衝撃的な事件である。
ISIL(イスラム国)は、イラクがかたづけば、次の攻撃目標は中国である、と聖戦の継続と拡大を宣言しており、この動きに神経をとがらせる北京はアジス師の動向監視をパキスタン政府に要請した。
ホラサンは、中国ばかりか世界を相手にテロ戦争をつづけると言っている。
2014年8月23日、中国は昨秋の北京天安門炎上テロ事件の関係者、八名をテロリストとして処刑した。全員がウィグル人だった。
同日、湖南省南部にあるカルト集団「全能神」本部を手入れし、信者千名を「カルトの狂信者」だとして、拘束したことも発表した。ISILはすでに中国に触手を伸ばしておりウィグル人のイスラム教徒過激派多数が軍事訓練に参加している。ISILにはウィグル人多数が加盟しているとされる。
北京にとってはやっかいな問題が再浮上した。
ISILは当初「イラクとレパントのイスラム圏」と訳されていたが、最近のマスコミは、このテロ組織を「イスラム過激派」とか「イスラム国」という訳語を当てている。
7月に記者会見したISIL指導者は15分にわたる演説で「ISILは北アフリカからスペイン、東は中央アジア、パキスタン、アフガニスタン、インド。そして最終最大の目標は中国である」と述べた。
こうなるとレパント(地中海沿岸)の範囲を超える。
華字紙の「多維新聞網」(8月16日)は、このイスラム過激派の膨張目的を「危険の弧」と命名した。事実、アフガニスタンのアルカィーダ秘密基地で軍事訓練を受けていたウィグル人は、1000名とされ、米軍の攻撃でグアンタナム基地に数十人が拘束され、うち何人かはアルカィーダと無関係とわかってアルバニア、ポリネシア諸国が身柄を引き取った。中国は執拗に身柄の引き渡しを要求している。
▼そしてクルド族の独立が射程に入った
周辺国にあって大国はトルコである。「オスマン・トルコ帝国」の復活を目指すかのようなエルドアンは「(自らの大統領選の)勝敗の決め手はクルド族との和解にあり、クルドの支持を得られるだろう」とした。
エルドアン・トルコ大統領は「クルド族が『独立』の住民投票を行うことに反対しない」と従来の政策を転換した。
こうした動きを背景にしてクルド自治区のマスード・バルザニ(自治政府議長)が記者会見し、「数ヶ月以内に住民投票を実施して独立を問う」と豪語した。
かくて中東は大混乱、空爆を奇貨とするのはクルド族にみならず、イスラエルとシリアのアサド政権が欧米のシリア空爆に裨益したように、クルド独立には、こんなチャンスは二度とないだろう。
バルザニは、「もちろん選挙管理委員会を組織化することから着手するので実際の投票実施までに数ヶ月の時間を要するが」と日程を明示することは避けた。
もっとややこしいのは、クルド独立をイスラエルが賛成していることだ。
クルドの独立を脅威視してきたイラクは「独立をめぐる住民投票は地域の不安定化につながるうえ、トルコ国内も不安定となる要素が大きく、究極的にはイスラエルを利するだけだ」と強く非難するが、国際世論もクルド独立に同調的である。
クルド族は推定人口1500万人。イラク、トルコ、イランの山岳地帯に住んでいるが、ながらくこれら三国が反対してきたため、独立は叶わなかった。
アラブ人と人種が完全に異なるゆえに自治区を形成してきたが、突如、ISISの跳梁跋扈でイラクが無政府状態となるや、クルドは電光石火の作戦でバイハッサンとキルクークの二つの油田を制圧した。両方で日量40万バーレルの石油が生産され、独立した場合の歳入が確保される。
ところで「中東の暴れん坊」だったイランとて、西側の政策が長引いて、宗教革命とかいう全体主義の体制は、第二世代に移行した。
まさに中国の太子党に酷似する。だから中国の奥の院で「共青団」vs「太子党」の権力闘争があるようにイランでもいま、おなじ対立が先鋭化している。
しかし、近代化を急いだパーレビを打倒したイスラム革命の背後には欧米の工作があり、フランスはホメイニ師を匿っていた。
イスラム革命が成功すると、旧権力者と軍幹部を根こそぎ処刑し、宗教警察という秘密警察を敷いて国民を監視し、身動きのできない全体主義国家に陥れ、あげくに彼らは暴走して米国大使館を占拠した。のちに大統領となるアハマドネジャットは、当時、その暴走組の一人だったという。
イランが暴れては困るし、過激派の跳梁跋扈はおっかない。だからサウジなど王政の産油国は恐怖のあまり、米国の兵器にたよる。
大きく歴史の展望を広げて植民地時代の原理原則を振り返れば、アジア各地で英国が何をしたか?
ミャンマー国王夫妻をインドへ強制移住させ、王女はインド兵にあたえ、王子たちは処刑した。旧ビルマから王制は消えた。そのうえでムスリム(イスラム教徒)を60万人、ミャンマーへ移住させて、仏教のくにと対立するイスラムを入れ、北部のマンダレーには大量の華僑をいれ、少数民族を山からおろしてキリスト教徒に回収させ、要するに民族対立を常態化させて植民地支配を円滑化したのだ。
ベトナムでフランスが同じ事をやり、インドネシアでオランダがそれを真似、インドにも英国は民族の永続的対立の種をまいた。
つまり言語と宗教の対立をさらに根深いものとして意図的に残し、あるいは強化し、インド支配を永続化させようと狙った。インドの紙幣には十五もの言語の表現があり、統一のインド語のかわりに英語が共通語となった。
アルカイィーダというテロリストのお化けはなぜ生まれ、その亜流がもっと過激なテロ活動を続けているのか?
冷戦時代のソ連のアフガニスタン侵攻で、ムジャヒデンという武装ゲリラの武器援助を続けたのは欧米、とくに米国だった。パキスタンを経由してステンガー・ミサイルなどの高度な武器が供与され、結果、ソ連の武装ヘリは追撃された。
やがてソ連軍は去り、かわってアフガニスタンを支配していたタリバンは、アルカィーダの秘密軍事基地を提供し、テロリストが世界に輸出された。
タンザニアなどの米大使館がかれらに攻撃を受け、クリントン時代の米国はアフガニスタンのタリバン基地に50発のトマホークミサイルをお見舞いした。かれらはしかし生き残り2001年9月11日、NY貿易センタービルを破壊した。
この結果、ブッシュ・ジュニア時代に『対テロ戦争』が開始され、イラクへ、アフガニスタンへ大量の兵士と武器が送られた。政権がオバマになるや、イラクから撤退し、アフガニスタンからも逃げる準備ができた。
こうした状況に過激派アルカイィーダは世界の主要拠点を築いて外国人戦闘員も養成し、そのアルカィーダ残党から分派してできたのが『イスラム国』(もとはISIL<イラクとレパントノイスラム圏>と名乗った)である。
かれらは混乱するシリアに拠点を構築し、銀行強盗、誘拐身代金強奪など残虐さと荒っぽさでたちまちにして肥大化した。フランケンシュタインのようなイスラム過激派のお化けを産んだのは、結局のところ、英国などの植民地支配の残滓、米国の無邪気ともいえる介入と無惨な敗退ではないか。
しかし、もっと大局的な文明観にたてば、欧米はキリスト教文明圏であり、イスラム文明圏が結束して対抗する勢力となることを警戒するのだ。
したがってシリアなども、イラクがそうであったように欧米が軍事介入すればするほどに紛争が悪質化するのだが、イスラム全体がまとまらず、恒常的に内訌と紛争を繰り返せば、それは欧米に裨益するからではないのか。
だからこそNATOの一員ではあってもEUからはじかれるイスラム世俗国家のトルコは産油国が加わっての「有志連合」の空爆には関与せず、シーア派のイランは形式的に空爆を非難した。
チェチェンなどイスラム過激派との内戦に痛い目にあっているロシアは当初静観し、中国も知らぬが仏という態度だったが、裏面では紛争地域にも鵺的に武器供与を続けて死の商人ぶりを発揮している。
「イスラム国」にとって米国はサターンだが、チェチェンを弾圧したロシアも敵であり、またイスラム同胞を弾圧し続ける中国の新彊ウィグル自治区のムスリムには深い同情を抱いており、いずれ彼らは攻撃目標に中国を加えるであろう。
かくして世界的規模の戦争がおこる蓋然性は高まった。石油価格は高騰しつづけ、産油国もまた欧米側に付かざるを得なくなった。
杜父魚文庫
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