昨夏以来、オバマ大統領の支持率が地に堕ちて、30%台で低迷している。
昨年8月に、オバマ大統領がシリアへ軍事制裁を加えると発表したが、どの世論調査も国外の紛争に介入してはならないという回答が、圧倒的だったのに臆して、撤回したところを、こともあろうにプチン大統領によって救われたのが、躓(つまず)きの発端となった。
オバマ大統領は9月10日にテレビの全米放送に出演して、「アメリカは、もはや世界の警察官ではない」と、2回も繰り返して、弁明した。
■軍事力が削減される
そのかたわら、アメリカは巨大な財政赤字に苦しんでいるために、国防予算に大鉈(おおなた)を振っている。
今年に入って、オバマ政権はプチン大統領がウクライナのクリミアを傍若無人に切り取った時も、効果があるような制裁措置をとろうとしなかった。
オバマ大統領は中東において、かつてない混乱が拡がっているのにもかかわらず、イラクに対する小規模な空爆を決定しただけで、腰がすっかり引けている。
もっとも、アメリカ国民が国外の紛争に介入することに懲りているのは、オバマ大統領だけのせいではない。
■ブッシュ大統領の手張り
前任者のブッシュ大統領が勢いを駆って、アフガニスタンとイラクに侵攻して、成果があったどころか、この2つの国だけとっても、手のつけようがない混乱がひろがっている。
日本でも、世界においても、アメリカが超大国であるのをやめて、孤立主義の殻にこもりつつあると、見る人々が多い。頂点を過ぎてもアメリカの存在感はまだ強国である
だが、アメリカが頂点を過ぎた国となって、これから力を衰えさせてゆくとみるのは、早まっている。
オバマ政権はまだ任期を2年あまり残している。このあいだ、オバマ大統領がリーダーシップを取り戻すことはありえない。しかし、今後、アメリカが世界の指導国家の座を降りると見るのは、早計だ。アメリカという国の習癖(しゅうへき)を過去に遡って、知らなければならない。
私は、“アメリカ屋”である。ずっと、アメリカの脈を計ってきた。これまで、アメリカは衰退するという危機感に、周期的にとらわれてきた。
私は1957年10月に20歳だったが、アメリカに留学していた。
■人類最初の有人衛星の衝撃
この月に、フルシチョフ首相のソ連がアメリカに先き駆けて、人類最初の有人衛星『スプトニク』を打ち上げて、地球軌道にのせた。
アメリカは『スプトニク』の打ち上げによって、衝撃を受けた。当時、アメリカはアイゼンハワー政権のもとにあった。
『スプトニク』の打ち上げがもたらしたショックは、「ミサイル・ギャップ」として知られる。アメリカは強い危機感によって、襲われた。
このままゆけば、ソ連が20年あまりのうちに、科学技術だけでなく、あらゆる面でアメリカを追い越すことになると、まことしやかに論じられた。
■1960年の大統領選挙とケネディの登場
1960年に、大統領選挙が戦われた。ニクソン副大統領と、民主党のジョン・ケネディ上院議員が争った。
ケネディ候補は52歳で、颯爽としていた。ソ連のほうが理科系の学生が多いことから、宇宙開発から先端軍事技術、国民生活の質にいたるまで、じきにアメリカを凌駕することになるという恐怖感を煽り立てて、アイゼンハワー政権の失政を激しく非難した。
ニクソン候補はアメリカがそれまで人工衛星を、20以上も地球軌道に乗せたのに対して、ソ連は3回しかなく、有人衛星を打ち上げたからといって、アメリカの優位が揺らぐことはないと、反論した。ソ連はアメリカにあらゆる面で大きく立ち遅れているから、20年以内にアメリカを凌駕(りょうが)することなどありえないと、言い返した。
選挙結果は、デマゴーグのケネディが僅差だったが、勝った。だが、ソ連は経済が振わず、その時から31年後に崩壊した。
私は1991年のクリスマスの日に、クレムリン宮殿のうえに翻っていた、赤地に鎌(かま)と槌(つち)をあしらったソ連国旗が、最後に降揚されたのをテレビで見たのを、よく憶えている。
今日、このままゆけば、中国が20年以内に、アメリカを経済力と軍事力において上回ることになると説く者が多いのと、似ている。
ケネディ大統領が暗殺されると、ジョンソンが後を継いだ。1968年に、ニクソンがハンフリー副大統領と、大統領選挙を争った。
ニクソン候補はアメリカが衰退しつつあり、「このままゆけば、向こう15年以内に、西ヨーロッパ、日本、ソ連、中国の4ヶ国が目覚しい経済発展を続けて、アメリカと並び、アメリカはナンバー・ワンの座を失う」「いま、アメリカは国力の絶頂期にあるが、古代ギリシアや、ローマと同じ轍を踏むことになろう」と訴えて、危機感をさかんに煽った。
ニクソン政権は、ケネディ大統領が始めたことから、「ケネディの戦争(ケネディズ・ウォア)」と呼ばれ、ジョンソン政権のもとで拡大して泥沼化した、ベトナム戦争の後始末をするのに苦しんだ。
ニクソン大統領は「もはや、アメリカは世界の警察官ではない」と述べて、ソ連と対決してきた姿勢を捨てて、ソ連との間に「平和共存(デタント)」新戦略を打ち出した。
私は福田赳夫政権が昭和47(1972)年に発足すると、首相特別顧問としてアメリカとの折衝に当たったが、カーター政権が相手だった。
カーター大統領は、朝鮮半島から在韓米軍を撤退することを公約していたが、私の役目の1つが、在韓米軍の撤退を撤回するように、手練手管を盡して、説得することだった。
カーター政権が発足した時には、アメリカ国民はベトナム戦争が大失敗に終わったことがもたらした深い傷が、まだ癒えていなかった。
アメリカはカーター政権のもとで、内に籠った。そのうえ、アメリカはイスラム産油諸国が1970年代に2回にわたって起した石油危機によって、経済が混乱したことによって、国民が自信を失っていた。
■レーガン大統領はアメリカを甦らせた
だが、カーター政権のあとに、レーガン政権が登場すると、アメリカはまるで不死鳥(フェニックス)のように、甦った。アメリカは自信を回復した。
そして、ブッシュ(子)政権のもとで、天空の頂点まで舞い上がった。
これまで、アメリカは振り子のように、果敢に外へ向かう時期と、羹(あつもの)に懲りて、内へ籠ろうとする時期が、交互してきた。
アメリカはいま、アフガニスタンとイラクで受けた傷を、舐めている。アメリカはローラーコースターか、忙しく拡げたり、縮めたりするアコーディオンに似ている。
いまから20年、いや30年後を考えてみよう。アメリカを科学技術で追い越す国が、あるだろうか。中国にそのような力は、まったくない。EUや、日本が、アメリカと並ぶことも、考えられない。
■アメリカの優位性は継続する
現在、アメリカは経済規模で中国の2倍、中国につぐ日本の3倍に、当たっている。
中国は現体制が20年後に、まだ続いているものか、保障がない。圧制によって体制を維持している国は、政治的な激震に見舞われると、経済が揺らぐ脆弱さを内包している。
そのうえ、中国では巨大な人口の高齢化が急速に進んでゆくが、アメリカは移民によって経済規模が増大するとともに、高齢化の速度が緩やかなものにとどまる。
アメリカはほどなく安価なシェールガスと、シェールオイルによって、世界最大の産油国となって、エネルギーの自給自足を達成することになる。
今後、アメリカが畏縮してゆくことになると、きめつけるのは、まだ早い。
杜父魚文庫
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