杜父魚ブログを主宰していて、わが意を得たりと思うことが数多くある。論評風の硬派記事に焦点を絞り、それも文庫風の体裁を整えた。何年かして読み返して欲しいというのが主催者の思いである。
11日のブログでダントツの一位になって読者の関心を呼んだのは、岩手県西和賀町沢内の古刹・玉泉寺に建立されている国連外交官だった平沢和重氏の碑文にまつわる因縁話。それもスマートフォーンを使った読者がPC使用の読者の三倍もあった。
この因縁話を最初に書いたのは二〇〇六年七月十一日。この時も大きな反響を呼んで平沢夫人から二度、丁重なお礼状を頂戴した。
それが2020年東京オリンピックの招致で沸き立った二〇一三年九月九日に「1964年東京オリンピックの招致で活躍した平沢和重氏の碑文」と題して、碑文の写真入りで再掲したら再び大きな反響を呼んだ。文庫風の杜父魚ブログの狙いが当たったと内心は得意だった。まさにわが意を得たり!
それが三度目の正直ではないが、10月11日のブログでダントツで読まれている。それで四度目の正直ではないが、再掲の再掲を重ねることにした。「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」の平沢和重さんの色紙を見るために来年春には玉泉寺に行くつもりで居る。
■1964年東京オリンピックの招致で活躍した平沢和重氏の碑文(再掲) 古澤襄
2013.09.09 Monday name : kajikablog
昭和34年5月26日に西ドイツのミュンヘンで開かれたIOC総会で5年後の1964年東京オリンピックが決まった。私は4月に仙台支社から東京政治部に転勤したばかりだった。政治部長は岩手県西和賀町の出身で”岩手牛”のニックネームがついた小田島房志さん、私の遠縁に当たる人。
ミュンヘンのIOC総会で東京立候補の名演説を行った外交官・平沢和重さんも西和賀町沢内の出身で、やはり私の遠縁に当たる人。菩提寺の玉泉寺の庭園に平沢和重さんの直筆で「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」の石碑が、古澤元・真喜文学碑と並んで建立されている。
不思議な縁である。いまの西和賀町の人たちも2020年東京オリンピックの招致で沸き立っているだろうが、1964年東京オリンピックの招致で活躍した平沢和重さんのことを知る人も少なくなった。歳月は人の記憶を風化させる。7年前に杜父魚ブログに「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」の一文を書いた。せめて郷里の人たちは先人の記憶を風化させないで欲しいという思いからである。あえて再掲してみた。
■胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ 古沢襄
「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」・・・岩手県沢内村にある古刹・玉泉寺の境内に、この碑文を刻んだ石碑が建てられている。平沢和重、といっても多くの人たちにとっては聞き慣れない名前であろう。しかし七十歳を超えた私たちの世代には、NHKの解説委員として広い視野でテレビ解説をしてくれたこの人の見識が脳裏から離れない。碑文はこの人の自筆を刻んだものである。
平沢和重は明治四十二年に香川県丸亀に生まれた。昭和十年、東京帝国大学政治学科を卒業して、外務省に入省、ワシントンの日本大使館で斎藤博大使の秘書官、太平洋戦争の開戦時にはニューヨーク領事だった根っからのアメリカ通。
丸亀生まれの平沢和重の碑文が何故、東北の寒村の古刹に遺されているのであろうか。実は平沢家は父の時まで代々、沢内村に住んだ旧家であった。平沢一族は現在も沢内村に居住している。太平洋戦争の末期には、隣村の湯田村に朝子夫人とともに疎開し、戦後、縁があってNHKの解説委員になった。
敗戦の悲惨な廃墟の中から新生日本を礎く心意気を「胸は祖国におき、眼は世界に注ぐ」の言葉で表現したもので、菩提寺の和尚から請われるままに色紙に書き遺した。
テレビにおける平沢和重の国際情勢の解説は、あの無謀な戦争を阻止できなかった戦前の外交官の痛切な反省が根底にあった。だから私たちの心を打つものがあるといえる。
同じように外交官から戦後、共同通信社の社長になった福島慎太郎とは無二の親友で、ともに三木元首相の外交ブレーンとして重きをなした。昭和三十四年には東京オリンピック招致使節として国際オリンピック委員会総会に出席、国連外交官として活躍した平沢和重は、「眼は世界に注ぐ」心構えを大切にし、人にも説いた。
昭和五十二年に六十七歳で没したが、この平沢和重の遺徳を偲ぶ村人によって石碑の前の香華が絶えることがない。
「胸は祖国におき」は強烈な愛国心の発露である。この国をこよなく愛し、国家の発展を願う気持ちが素直に現れている。しかし「眼は世界に注ぐ」の一句によって、偏狭な祖国愛を厳しく拒絶している。だから碑文は厳しい警句である。
戦後六十年を経て、日本人は国家というものを再認識する世相となった。それは喜ぶべきことだが、ともすれば偏狭な愛国心を生み、他民族を排斥する誤ったナショナリズムを誘発することは避けねばならぬ。平沢和重の碑文は、今日も静寂な古刹の境内で静かな佇まいをみせているが、警句の意味を私たちは忘れてはならない。(杜父魚ブログ 2006.07.11 Tuesday name : kajikablog)
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