17538 昭和ヒトケタ世代はひ弱ではない    古澤襄

夜中の一時半、少年時代の夢をみて目が覚めた。牛込区の愛日小学校に六年間通った。近くに大橋圭介氏がいて遊び仲間。同じクラスに奥村利夫君がいたが、仙台支社から東京本社の政治部に転勤したのを機会にテレビを買った。昭和34年のことである。
「奥村君が出ている」と私が声をあげたら「あなた、何を言っているのです。勝新太郎ですよ」と女房に笑われた。政治家の名前と顔を覚えるのに懸命の修行時代だったから、映画俳優にはトンと無関心の頃。
女房は五反田のドレメーを出て、丹波哲郎に嫁した従姉・貞子さんと荻窪でミシンを踏みながらささやかな洋裁店を開いていた。洋裁店の二階で丹波哲郎がゴロゴロしていた売れない時代。だから映画俳優については、ことのほか詳しい。
それはさておき、少年時代の夢に外濠端が出てきた。外濠端の向こうに省線が走っている。いまはJRというらしいが、戦前は鉄道省の電車だったから”省線”。ガタン、ゴトンという音が懐かしい。
いつまでも寝ているわけにはいかないので、コーヒーカップに玉露の粉茶をいれて二階の書斎に行く。しばらくは少年時代の想い出に耽った。良き古き時代だったが、小学校(当時は国民学校といった)を出て、間もなく母の実家がある信州・上田に疎開するとは思いもしなかった。旧制上田中学には四年間いた。
中学二年の時に敗戦。三年の時に信越線で上京したが牛込区一帯は焼け野原。神楽坂にも行ってみたが、坂の上から飯田橋の駅まで何もない。日本は戦争に負けたと思い知らされた。悄然として上田に戻った。その上田にも進駐軍がきて上田飛行場の跡地に米軍キャンプができた。
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上田まで進駐軍がくるのだから、思い切って東京に戻ろうと一念発起して中学五年の春に都立四高(学制改革で戸山高校)の転校試験を受けて上京。東京は食糧難だったから、ヨット鉛筆の専務の家に住み込みの書生になった。上京して苦労した様にみえるが、あの経験が私を強くしたのだろう。
あの時代、私と同年の仲間たちは同じ様な経験をしている。昭和ヒトケタ世代はひ弱ではない。
10月24日の杜父魚ブログで宮崎正弘氏の書評「軍事力が中国経済を殺す」がトップ論評となっている。紆余曲折があろうが、方向性は正しい。二位の「原油価格下落の背景にある産油国の思惑」も正しい指摘であろう。いつものことながら、宮崎正弘氏の先見性には敬意を表したい。
①書評 『軍事力が中国経済を殺す』    宮崎正弘
②原油価格下落の背景にある産油国の思惑    宮崎正弘
③ポーランドでヘリ妨害日本人逮捕    古澤襄
④北朝鮮、日本人妻ら生存者数集約    古澤襄
⑤中国共産党四中全会閉幕、発表詳細に欠け失望の声も    古澤襄
⑥「米国は悪い方向に向かっている」が65%    古澤襄
⑦国債入札、初のマイナス金利…買い注文殺到で    古澤襄
⑧霧島・硫黄山に火口周辺警報    古澤襄
⑨米軍主導のシリア空爆、開始から1か月 死者553人    古澤襄
⑩福田元首相 習主席と再会談へ    古澤襄
杜父魚文庫

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