ことしは”暖冬”という。気象庁が11月から来年1月までの3カ月予報を24日発表した。西日本は暖かく、東日本は平年並みか暖かい見込みだとという。
これまでも東北では暖冬で熊が人里に出没する例があったから、暖冬と喜んでいるわけにはいかない。岩手の菩提寺の裏山に熊が出て一騒ぎとなったこともある。
数年前のことになったが、漫画家・岸丈夫さんのお弟子さんで画家の小角又次さんが、画帳を持って菩提寺の裏山に一人で登っていった。水筒に日本酒を入れて行った。
「一人で大丈夫ですか」と気遣ったら「山の上から沢内村の風景を描くつもりだが、展覧会に出品したら君にあげるよ」。
それが夕方になっても山から下りてこない。和尚や村人たちが「熊がでたのではないか」と心配して、青年団に声をかけようとしていたところに、小角画伯がホロ酔い気分で山から下りてきた。この年も暖冬であった。
開口一番「いい沢内村風景が描けたよ。二枚描いたので一枚は展覧会に出品するが、一枚は君に進呈するよ」。小角画伯は毎年、新宿の小田急デパートで個展を開いていたが小角フアンがいて人気がある。
小角画伯は秋田鉱専(秋田大学)を出て、すぐ学徒兵で出陣した少尉殿。同級生の森幹太さん(新劇俳優)も学徒兵少尉殿だったが、敗戦で二人の少尉殿が東京・野方の岸丈夫を訪ねてきた。青い菜っ葉服を着て海軍さんの戦闘帽をかぶっていた。たまたま私もいたので、この二人との出合いは印象に強く残っている。
小角さんは「敗戦でいまさら石油掘りになっても仕方ないので、画家になりたい」と岸丈夫に相談にきた。森幹太さんは「新劇俳優になるつもりです」。この二人は無二の親友だったが二人とも、一風変わっていた。
森幹太さんは望み通り新劇俳優になったが、1987年に沢内村の深沢村長を主人公にした「燃える雪」を劇団銅鑼(代表・森幹太)をドラマ化している。森幹太さんが演じた深沢村長が評判となり全国公演は三百回というから半端ではない。
その縁で古沢元・真喜文学碑の除幕式では、古沢元の「杜父魚」、古沢真喜の「碧き湖」の詩を森幹太が朗読してくれた。人の縁とは不思議なものである。
この年、小角画伯の作品が小田急デパートで個展で展示された。そこには沢内村風景が展示されていたが、かなり高額の値段がついていたので残念ながら手がでない。しばらくして小角さんの家に遊びに行ったら「展示した絵が売れ残ったので二枚とも君にあげるよ」。
いまは私の病室と一階の居間に二枚の絵が飾ってある。小角画伯も森幹太さんも亡くなったが、沢内村風景の二枚の絵をみながら、二人のことを懐かしく想い出している。
杜父魚文庫
17561 暖冬 小角又次画伯と熊の話 古澤襄

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