旧制中学に入ると剣道か柔道を正課に選ばねばならない。父親が剣道四段、警視庁原宿署で警察官に稽古をつけていたので小学校時代には、中学に入ったら剣道を正課にするつもりでいた。
父・古澤元は旧制盛岡中学で剣道部主将、”突き”の名手だったという。盛中の「フルタマ」として怖れられていた。古澤元は作家のペンネーム、本名は古澤玉次郎、だから中学時代は「フルサワ・タマジロウ」、それを略して「フルタマ」のあだ名がついた。
母に言わせると「お父さんは北辰一刀流に憧れたといっているが、ほんとうは祖父・古澤行道が鉱山の鉱業用資材を購入するために、大金を持って馬で秋田県に向かう途中、二人の賊に襲われて扼殺されたので、剣道を身につけたのよ」と動機を明かしていた。鬼気迫る「フルタマ」の剣さばきは、32歳で横死した祖父の死にあった。
小学校時代には父から木刀の素振りを稽古づけられいた。中学に入ったので、道場で初めて本格的な稽古をつけられた。竹刀とはいえ手加減しない稽古だったから肘に痣が出来るほど容赦しない。いっぺんに剣道が嫌いになった。道場の夜の稽古には合気道があったので、母の薦めで合気道の講習に参加した。師範の奥さんが私に稽古をつけてくれた。
「まあ、まあ!子供なのにこんなに痣ができるほど叩いて・・」と母は言った。合気道に熱中して初段は取れなかったが、一応は一級の免状は貰った。中学には合気道がなかったので柔道を正課に選んだ。父は憮然たる表情だったが何も言わない。
共同通信社の金沢総局長の時に名古屋で管内支局長会議があって、夜の懇親会で森芳健名古屋運動部長の隣で飲んだ。同じ運動部出身の岐阜支局長が「森芳は明治大学剣道部の主将で剣道四段。大学剣道大会で優勝した日本一の剣道家だよ」と教えてくれた。
「フーン、剣道四段か」と私。
「夜の名古屋の街で飲んでいたら、与太者三人と喧嘩になって、森芳は近くにあった棒でアッという間に三人を叩きふせた」と岐阜支局長は武勇伝を教えてくれた。
「フーン」と私。剣道嫌いの私にはどうでもいい話。
やがて森芳は本社の管理部長、私は労務部長になった。海部首相が共同で開催した全国地方紙編集局長会議で講演するというので、共同の会議室に護衛の警察官に護られて現れた。
その警察官たちが、森芳をみたら直立不動で敬礼。森芳は警視庁の道場で警察官たちに稽古をつけていた師範だった。同じ総務局の部長同士だったので、二人で飲むチャンスが多くなり、森芳の長男と私の長女が一緒になったのだから、世の中のことは分からないものである。
たまたま私のオヤジが剣道四段だったという話になったら
「”突き”ですか」と森芳は言う。森芳は”小手”の名手。「稽古をつける時は”面”しか教えない。”突き”も”小手”も剣道大会で勝つ手段で、私は汚い手だと思っている」とポッツリ話した。
そういえば、中学に入って初めて本格的な稽古を父からつけられた時に”面”ばかり狙われて、散々な目にあったことを想い出した。”面”こそが剣道の極意という森芳の言うことが分かる気がした。その森芳は在職中にガンで死亡したが、ガンということは夫人と私だけが知っていて、森芳には言わなかった。共同で刎頸の友の交わりをしたのは森芳しかいない。
杜父魚文庫
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