17983 バングラデシュから見た日本の総選挙    宮崎正弘

■日本は本当にミンシュシュギですね 首相の選び方も国会議員も
総選挙後盤をバングラデシュで見ていた。
不在者投票(期日前投票)をすませ、ゲラを数本抱えての旅立ちだったため、最初の晩、ダッカの宿で日本からのFAXを受け取ったものの訂正ゲラの発信ができず、返信は二日目の宿、ボグラのホテルからだった。
FAX一枚につき、送信料が300円もかかる。通信に大きな障害がある。国際電話が通じない。ボグラは人口300万人という大都会なのに。
もちろん、テレビはNHK・BSが入らない。バングラデシュでは日本のニュースはなにもない。インドと事情が異なる。この国は情報砂漠である。
バングラデシュでは英語の新聞もちゃんと発行されているが、四つ星ホテルにさえおいていない。
現地語の新聞は数種あるが、街角で買えるとしても、ベンガル語はちんぷんかんぷん。余談だがバングラはインドと似た言語状況で、通貨タカには七つの言語表記がほどこされている(インドは15の言語表記)。
町の看板は英語が多い。英語を解する国民は意外と多いようだ。
というわけで日本の選挙結果はバングラ第三の都市クルナのホテルで、概略が分かった。
自公で310議席という中間の開票速報、共産党が二倍。維新横ばい、次世代ゼロとういう開票日の日本時間午后十時頃の情報がつかめた。
翌日、バングラデシュの英語新聞で確認したのは「アベノミクス信任」とだけあって、数行の記事。それもニューヨークタイムズやブルームバーグからの転載だった。
つまりバングラデシュでは、日本の政治情勢のニュースはなきに等しく、選挙区の深い分析なぞあろう筈もく、細かな数字や候補者の当落は分からない。海江田が落選だけは、報じられた(野党党首だからだろう)。
 ▼バングラデシュ経済の浮沈は日本の6000億円の援助だが。。。。
ジャイカの関係者に聞くと「日本の動きにそれほどの関心はなく、バングラデシュ国民はハシナ首相の汚職の話ばかり。彼女はラーマン初代大統領の娘というだけで、政治力はなく、国民の人気はない。にもかかわらず投票箱のすり替えや、数字の捜査で首相になれる。日本はつくづくミンシュシュギですね。投票箱擬制の国家にも、IMF基準や国連のウケさえよければ巨額の援助。こんかいの日本の援助6000億円は、この国の評判では、これで日本に国連安保理事会の議席を売った、という評価になってますよ」
そうこうしているうちにボグラ、クルナ、モングラを経て飛行機でダッカへ戻り、ようやくにして英字新聞を読んだ。
自民は微減、公明党増席、共産党二倍と、これでは安倍政権勝利とは言えないではないのか。まして民主党さえ11議席増。維新は横ばい、次世代はわずか弐議席。民主と維新は比例区復活がやけに目立つのだが、外国のメディアはそんなことは伝えない。
アベノミクスが信任されたとはとても言えない結果ではないか、と筆者はダッカの宿で考えたのである。
バングラは農業大国。しかし出稼ぎで外貨準備が成り立つ国であり、空港は産油国とマレーシア、シンガポールへ出稼ぎにいく人々でごった返しており、チェックインに一時間もかかる。出稼ぎひとりが外国から帰ると平均で十人が空港に出迎える。フィッリピンも一時期そういう風景が日常だった。
それゆえバングラデシュ国民から見れば日本はまぶしい存在なうえ、各地の幹線道路や橋梁は日本が建ててくれた。日本の国旗がちゃんと各地に立っていて感謝の意を表している。
またバングラデシュはパキスタンからの独立という歴史解釈だから、パキスタンは大嫌い、その背後にいる中国は嫌い。インドは保護国だから好き、インドと仲良しの日本は大好き、という構造になる。町中ではバングラの国旗が溢れている。
したがってバングラデシュの国民は日本の総選挙に関心が深いかと言えば、ほとんどが無関心なのだ。
貧富の差が激しく人力車タクシーがダッカだけで五十万台。バスは超満員。屋台では10円程度で食事ができる。タバコは20円(10本入り)。ビールは闇でしか手に入らない。イスラムの戒律が厳しいが、人々は明るい。未来に希望をもっているところが日本の若者達と異なる。
 
この国の識字率はいまだ低く、農業国家として農作物の輸出で糊口をしのぎ、あとは手先の器用な女性が大量にアパレル、服飾、繊維産業に流れているが、日本企業の進出はまだ200社前後しかなく、しかし外国人の不動産取得が可能なため、不動産投資を果敢に展開する日本企業がいたことは驚きだった。
というわけでバングラデシュ視察記はエルネオス弐月号に書きます。
杜父魚文庫

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