敗戦直後の有楽町で朝鮮人が戦勝国面して日本人を脅していた。これを「第三国人」とわれわれは言って憎んだ。いまの現役世代には、この経験がないから「第三国人」は差別的な呼称だと言う。少しは敗戦直後の悲惨な日本という社会を勉強したらどうか。
朝鮮人、とくに韓国人は好きになれない。長い歴史の中で日本に帰化した朝鮮半島からの帰化人には優れた人たちがいる。だが敗戦国家・日本にどっと流れ込んでこんできた朝鮮人は戦勝国面してやりたい放題、ヤミ市で儲け放題、日本人をバカにして闊歩していた。
何とも無念な思いを抱いて疎開先の信州・上田に戻ったら進駐軍相手に事件が起こった。
上田の街の北部、太郎山に向かうところに「土橋」というところがあった。そこら一帯は戦前からの遊郭地帯がある。土橋の下には小川が流れていた。その川に進駐軍の兵士が叩き落とされ、たいした怪我はなかったが、大騒ぎとなった。
朝からジープでMPの犯人探しが始まった。
旧制上田中学に海軍の予科練習生たちが復員していたが、彼らが米兵と喧嘩になって殴ったうえで小川に叩き落とした。後輩の中学生たちは快哉を叫んだが、誰もMPに密告した者はいない。結局、犯人は分からずじまい。この上級生たちも90歳近くになったろう。上田の市民でこの事件を知る者もいないのではないか。
杜父魚文庫
18001 川に進駐軍を叩き落とした中学生たち 古澤襄

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