古沢元と岸丈夫は実の兄弟なのに元は”着道楽”、丈夫は”食い道楽”。戦後、疎開先から東京に戻った時に一年だけ東京野方にあった叔父・岸丈夫宅に置いて貰った。西武線で野方から高田馬場まで出ると都立第四中学に通うのが便利だったからである。
あの食糧難の最中だったのに岸丈夫の”食い道楽”は変わらなかった。政治漫画を描いた原稿料が入ると思い切り当時としては贅沢な夕食を振る舞ってくれた。といっても肉は細切れの豚肉。
それを大鍋で叔母が野菜と煮付け、醤油味のものだったが、当時としては最高の贅沢料理。それをコッペパンで食べた。すこし食糧難が納まったら納豆汁やショツル料理で白米飯。
戦前の古沢元は「男は台所に入るものではない」と厳しかったが、母は田舎の商家のお嬢さん。味噌汁にダシを入れることも知らないから、父が料理の作り方を教えてくれたと言っていた。
勢い外食が多かった。といっても贅沢な外食はしないで、大島の着物を着て浅草界隈を武田麟太郎や高見順ら作家たちと颯爽と歩いていた。母も実家の祖母から送って貰った送金で小紋の着物をあつらえ贅沢な着道楽。
そんな両親や叔父一家をみて育ったから私は”粗衣粗食党”。とは言うもの、この年齢になると美味いものをちょぴり食べる党に変身した。
父や母に連れられて行った東京九段の山東軒のマントウが忘れないとブログに書いたら、それを読んだ次女が甘みのないマントウを探して持ってきてくれた。山東軒のマントウには及びもつかないが、これほど美味しい中華風のパンは久しぶり。
次女が経営しているささやかな会社の人が中国にいたことがあるので、本格的な中華マントウのレシピを教えてくれるそうな。それを楽しみに待っている。
次女と同じ日にヘルパーさんが来たので強力粉とインスタント・ドライイーストを買ってきてきて貰った。ヘルパーさんが「植物油はいらないのですか」と不思議そうな顔をしている。
台所はヘルパーさん任せなので、風味が強いオリーブオイルはあるが植物油がないのは先方は承知。私の方はしばらく使っていないホームベカリーを持ち出して、その捏ね機能を使うことばかり考えていた。男の考えることは、どこか抜けている。
きょうは近くのヤオコーに行って植物油を買うことにした。ヤオコーにはパン専用店があるので、次女が買ってきてくれた甘みのないマントウがあるか一回りしてくる。
となると美味しいアンカケ中華も欲しい。こちらの方も山東軒の本格支那料理には及びもつかないが、冷凍もののカニ玉アンカケか八宝菜を探して、わが家で味付けする気になった。いやはやとんだ日曜日になりそう・・・。
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