■「中韓」とは違う新たな教訓に
「厳しい時間との戦いの中で、徹底した情報戦を展開していく必要がある。これまでの地球儀俯瞰(ふかん)外交で培ってきた中東各国との信頼関係、ルートを最大限生かし、政府をあげて手段を尽くす」
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件は、安倍晋三首相が1月21日、中東歴訪から帰国直後に召集した関係閣僚会議で述べた通り、「情報戦」そのものの展開をたどった。人質の生殺与奪の権を握るイスラム国を相手に、日本政府は当初から圧倒的に厳しい立場を強いられた。
「(イスラム国との直接の接触は)なかった。一方的なプロパガンダの色彩があったことは事実だ」
後藤健二さんの殺害映像が公開された2月1日、菅義偉官房長官が記者会見で述べたように、最後まで日本政府はイスラム国と直接的な交渉を持つことはなかった。
イスラム国側からの直接的な接触もない中、日本政府は「総力戦」で情報収集に努めたという。首相自らトルコやヨルダンをはじめ各国首脳に電話会談で協力を要請し情報提供を受けたほか、政治家や外務省職員らの個人的人脈も駆使して情報を集め、イスラム国側の意図を見極めようとした。
政府筋は「真偽を確認できないさまざまな情報が、それこそ山のように集まっていたことは事実だ」と打ち明ける。
当初焦点となったのは身代金要求への対応だった。菅氏は1日の記者会見で、身代金の「交渉はしなかった」と強調した。
ただ、最初の殺害脅迫の映像が公開された直後の局面では、菅氏は会見で支払いの可能性を問われた際に「国際社会によるテロへの取り組みに貢献していく政府の立場は変わらない」などと述べ、直接的な言及を避けていた。政府関係者の一人も「テロに屈しないということが直ちに身代金を支払わないことと結びつくわけではない」としていた。
日本政府内で身代金を支払わない方針は当初からの原則だったという。それでも、政府の発信をみると、選択の幅を自ら狭めることをせず、不用意に相手を刺激しないよう配慮した形跡もうかがえる。
その後も日本政府は「待ち」の姿勢を強いられた。首相は連日、首相官邸に隣接する公邸に待機し、菅氏らは深夜11時ごろまで官邸に詰める日々が続いた。
「ヤマ場」になるとみられた前後は、日付を超えて午前2時まで官邸に居残った日もある。73歳の杉田和博官房副長官にいたっては、ほぼ連日、官邸に泊まる生活だった。
現地の日没前後が「新たな展開」への1つの目安だったようだが、ある官邸スタッフは「時間の幅の取り方はよく分からない」と率直に明かした。交渉主体がヨルダン政府に移ってからは、なおさら「待ち」になった。
イスラム国のメッセージ発出のタイミングにも振り回された。1月24日の午後11時過ぎ、菅氏らが官邸を出た直後に湯川遥菜(はるな)さんを殺害したとする映像が公開された。
2月1日の早朝に後藤健二さんを殺害したとする映像が出回ると、官邸に到着した菅氏は駆け足で執務室に飛び込んだ。
「常に緊張感が張り詰めていて、寝床でも熟睡できなかった。実際何度も電話でたたき起こされた。あと1週間続いたら体にきていたかもしれない」。連日深夜まで対応にあたった政府高官はそう振り返る。
メディアも振り回された。
湯川さんを殺害したとする映像公開の直前には、一部報道機関が現地関係者の話として「2人は生存している」と伝えた。
報道が最も混乱したのは、3度目の動画で示された「期限」の1月28日午後。
現地では「後藤さんとヨルダン人パイロットが解放された」「死刑囚と後藤さんの解放で合意が成立した」といった未確認報道が乱れ飛び、国内では一部民放が「イスラム国が『アラーの名にかけて人質を解放する』との動画を公表した」と報じた。
政府側も岸田文雄外相や菅氏が参院本会議を中座するなど、動きが慌ただしくなった。(産経)
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