18379 疾風怒濤の時代を一緒に駆け抜けた戦友の死    古沢襄

六〇年安保から七〇年安保にかけての疾風怒濤の時代を一緒に駆け抜けた戦友がまた亡くなった。

昨夜、辻トシ子さんが「日経の越智君が亡くなったわよ」と電話で教えてくれた。この日、取手の総合病院で腎臓と膀胱炎の治療を済ませて完治の診断を受けたばかりの私だったが、やはり戦友の死は胸に突き刺さる。

「フルちゃんは長生きしてよ!」と一回り年長の姉御から気合いをかけられた。「それにしても、いまの政界はどうなっているの」と保守政界の女帝は厳しい。

越智氏とはともに岸元首相の追いかけ番をやった仲。ともに池田元首相が作った宏池会の派閥記者になったが、私は岸さんの担当という二足のわらじを履いた。岸派担当の三羽烏といわれた安倍晋太郎(毎日)、大日向一郎(日経)、清水二三夫(共同)から、若手記者のまとめ役を任されていたので、岸担当から抜けるに抜けるわけにいかなかった。

清水二三夫氏は共同を去り防長新聞の専務となったのだが、それも有馬稲子さんのご主人が社長と壮烈な喧嘩。防長新聞専務もやめてしまった。それで盟友の安倍晋太郎氏のところで逼塞するはめとなった。

さすがに清水氏は「岸さんから猛烈に怒られた」としよげていたが、安倍晋太郎氏も大日向一郎も「まあ仕方ないさ」と気にする様子もない。事情があって清水氏は私たちの前から姿を消して渡米。アメリカで亡くなっている。

遺体が無言の帰国をした時に東京で葬儀。安倍晋太郎氏も亡くなっていたので、夫人の安倍洋子さんが清水氏の葬儀を取り仕切った。大日向一郎氏と私が葬儀に参列したが、佐藤元首相の首席秘書官だった楠田實氏も来ていた。

洋子さんのすぐ後ろに座った私は、その横顔が父親の岸さんそっくりだったのに思わず息を飲んだ。昔の洋子さんは太め、それが鶴のように痩せて品のよい姿になっている。まさに往事茫茫、この時には息子の安倍晋三氏が二度も総理になるとは思いもしなかった。

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