B29の焼夷弾爆撃に晒されていた戦時下の話である。
原宿署の警察官たちに剣道指南をしていた父のところに特高警察の刑事がぶらりとやってきた。
「麹町の医者が自宅の庭に豪勢な防空壕を造ったのです」
ご禁制のヤミ米を隠しているとみて警察が調べたそうな。防空壕を掘ることは国策として東京都民は誰でもやっていた。わが家も庭に小さな防空壕を掘って、空襲警報が出る度に母と私が駆け込んだ。
医者が造った防空壕はコンクリート製のもので、焼夷弾の直撃を受けても耐えられると近所でも評判だという。
父は憮然として刑事の話を聞いている。ヤミ米はなかったという。
空襲が激しくなって麹町にいた武田麟太郎さんの一家も山梨県に疎開した、疎開した直後に麹町界隈にも焼夷弾が落ちた、界隈の人たちは猛火の中を必死で逃げた。逃げ遅れた人で焼死者も出た。
日ならずして刑事がわが家にやってきた。
「麹町の医者一家は防空壕の中で蒸し焼きになって死んでいました」
憎むべきは無防備の都民に焼夷弾攻撃をかけるB29のアメリカなのだが、この時ばかりは自分さえ助かればいいという金持ち医者に天罰が下ったという思いの方がまさった。
「コンクリートの防空壕を造るよりは、疎開した方が良かったのに・・」と母はポツリと言った。
その母は近くの東郷神社に爆弾が投下された時に慌てて押し入れに逃げ込んだ。
「母さん、爆弾が落ちた後に押し入れに逃げても助からないよ」と私。
「だって庭に爆弾が落ちたと思ったのよ」
気丈な母はまだ震えていた。あんな戦争の思いは二度としたくない。
<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>
コメント