18585 北陸新幹線 明日14日開業    古沢襄

■「古九谷」有田説 魚津のホタルいか

北陸新幹線・東京─金沢間が二時間三十分弱で結ばれる。朝の一番列車で金沢に行き、昼食をとって、夕食は金沢名物のおでん料理ですませ最終列車で帰京する”日帰り圏”に北陸がなった。

北陸には五年間勤務した。東京での仕事を済ませ、夜行寝台列車で朝、金沢に着いたことを思うと隔世の感がある。

北陸は山中温泉はじめ老舗の温泉旅館があるので有名。二時間三十分弱で結ばれ、首都圏と距離が縮まると名物の温泉郷に影響がでないか、むしろその方が心配になる。

北陸勤務になった時に二人の娘を連れて赴任した。その娘たちも、いまは50歳の坂を越えた。「北陸新幹線で金沢に行こう」と突然言い出した。

牛に引かれて善光寺参りではないが、四月になったら金沢に北陸新幹線で行くことになった。

金沢には3年半も住んだので、いまさら兼六園や武家屋敷をみても仕方ない。月に一度は九谷焼の窯跡巡りをした。加賀市山中温泉九谷町の窯跡にも行った。

東京から客がくると、古九谷の展示がある石川県九谷焼美術館に連れて行った。

その「古九谷」が佐賀県の有田で焼かれたという説がある。石川県内の窯跡からは、「古九谷」の出土陶片が見つからないことから、この「古九谷」有田説が有力となった。古九谷は有田の初期色絵作品というわけである。

不思議な縁で50歳の時に九州の博多勤務になった。有田陶器市にはリックサックを背負って毎年出かけてた。有田焼は別名、「伊万里焼」ともいう。江戸時代に積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていたという。

金沢や富山で食べた日本海の魚の味は忘れられない。この年齢になると焼き物趣味よりはおいしい魚の味の方がいい。欲をいえば、魚津のホタルいか、氷見の鰯の生干しをもう一度食べてみたい。

富山市の県庁前に「弁慶」という魚料理を出してくれる店があった。朝の漁でとったホタルいかを酢味噌で食べるのだが、脂がのっていて思わずお代わりを注文した。東京の料亭でも滅多にお目にかからぬ北陸の味だった。

北陸でさんざんキトキトのおいしい魚料理を食べたので、東京に戻ったら、しばらくは魚は食べられなくなった。そんな話をしたら娘たちは「富山にもう一泊しよう」と言いだしかねない。

 
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