18595 加害少年の擁護を「人権」と勘違いした愚行    古沢襄

■ノンフィクション作家・門田隆将 

無念であり、残念である。川崎市の中1殺害事件は、その痛ましさという点で、日本犯罪史に残るものとなった。

これほどむごい事件を引き起こした主犯格の18歳少年が、自らの権利擁護には熱心だったことも世間にショックを与えた。

最初から弁護士を伴って警察にやってきた少年は、当初、「今は話したくない」と黙秘し、やがて量刑に影響するからか、「いかに計画性がなかったか」を印象づける供述をするようになった。世間がさらに怒りに包まれたのも無理はないだろう。

同時に、私は新聞の少年犯罪報道に、今昔の感を覚えている。ヒステリックに加害少年の人権擁護を書きたててきた新聞がすっかり影を潜めているのだ。そして、実名報道に対する姿勢にも、大きな変化が生じている。

少年法第61条には、加害少年の氏名や写真の掲載を禁ずる条項がある。しかし、かつて新聞は、浅沼稲次郎(当時社会党委員長)を刺殺した17歳の山口二矢(おとや)(逮捕後自殺)や、19歳の連続射殺犯・永山則夫(のりお)(元死刑囚)ら少年犯罪者の実名を堂々と報じてきた歴史がある。

なぜ新聞は実名報道をおこなっていたのか。

それは、少年法の総則第1条に根拠がある。そこには、少年法が〈少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して〉定められたものであることが明記されているからだ。

つまり、少年法の対象は、あくまで〈非行のある少年〉であり、無残な殺人行為が〈非行〉の範囲であるはずがないと新聞は考えていたのである。それは新聞だけでなく、世間の常識でもあっただろう。

実際に家庭裁判所に送られた加害少年は検察に逆送され、起訴された段階で、刑事訴訟法に基づき公開法廷で裁かれる。法廷には、手錠腰縄(こしなわ)つきで傍聴者の前に少年が現れるのである。

だが、いつの頃からか、新聞は非行を越えたこの少年の凶悪犯罪に対しても実名報道を控えるようになった。

いや、それどころか、是々非々で実名報道を続ける雑誌に対して、〈ひとりよがりの正義感〉〈売らんかなの姿勢は許されない〉という憎悪に満ちた社説を掲げるようになった。それまでの自分たちの実名報道を棚に上げ、ヒステリックに非難したのである。

加害少年の利益を過剰に擁護することを「人権」と勘違いした新聞は、思考停止に陥り、それが世の不良たちをのさばらせ、平穏に暮らす少年少女たちの命を危険にさらしていることに気づこうともしなかったのだ。

だが今回、一部雑誌による少年の実名報道に対して、新聞の感情的な批判記事は皆無だった。

うわべだけの正義を論じる「偽善」と「思考停止」から、新聞は抜け出そうとしているのだろうか。守るべき真の人権さえ見据(みす)えることができなかった新聞が今後、どんな論調を掲げていくのか、興味深い。

【プロフィル】門田隆将(かどた・りゅうしょう)昭和33年、高知県出身。中央大法卒。週刊新潮を経てノンフィクション作家に。最新刊は『吉田昌郎と福島フィフティ』。(産経)
 

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コメント

  1. 大橋 圭介 より:

    すっきりとした、いい記事をありがとうございました。

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