18743 中東の「代理戦争」、イエメンへの空爆で激化    古沢襄

■ロイター・コラムでLaura Kasinof氏が論評

[27日 ロイター]イエメンのイスラム教シーア派系武装組織「フーシ派」に対するサウジアラビアなど湾岸諸国による空爆は、多くの点でイランとサウジの「代理戦争」をエスカレートさせている。
 

イエメン情勢悪化がアラブ世界の他の紛争と共通点がある一方、何よりも大きな違いは、同国の混乱には外国勢力が一役買っていることにある。
 

アラブ世界のなかでイエメンが地域全体に及ぼす影響は小さく、さほど重要視されていなかったため、同国はイランに対抗する手段の1つと見られていた。スエズ運河に通じる交通量の多い主要航路バブルマンデブ海峡に面するイエメンに敵対する政府を誕生させないという他には、湾岸諸国が同国の内部問題に介入する動機ほとんど見当たらない。
 

3年前にイエメンのサレハ前大統領が失脚してから続く同国の政治的混乱は、主に国内で高まる不満が原因だが、歴史的に敵対関係にあるシーア派主流のイランとスンニ派主流のサウジアラビアは、イエメンで政治的優位に立とうとそれぞれ画策してきた。
 

サウジは長い間イエメン最大の支援者であり続け、イエメンの有力な部族指導者らにも影響力を持っていた。しかし2011年11月にサレハ前大統領が失脚すると、イランがイエメンで急速に影響力を拡大し始めた。イランは反サウジで結束できるなら誰とでも関係を築いていき、そのなかには反サレハ派の活動家らも含まれていた。
 

これまであまり注目されてこなかったフーシ派だが、イランと「同盟関係」にあることは明らかだ。

2011年にサレハ政権が崩壊した後、シーア派ザイディ派の流れをくむフーシ派は勢力を拡大。強硬な反サウジ路線で、サウジがフーシ派の聖地でザイディ文化の破壊に関与したと考えている。
 

フーシ派は昨年9月、イエメンの首都サヌアに進撃し、大統領宮殿など政府機関を制圧。サレハ前大統領退陣後に西側と国連の仲介によって権力の座に就いたハディ暫定大統領は、南部アデンに逃れた。

3月27日、イエメンのシーア派系武装組織「フーシ派」に対するサウジなどによる空爆は、多くの点でイランとサウジの「代理戦争」をエスカレートさせている。

イエメンでは、民主主義への移行が実際に試されたことはいまだかつてない。ハディ氏は指導者としての経験や国内での支持、政治的知識が欠如していたにもかかわらず、西側に後押しされ暫定大統領となった。同氏は、中東の民主化運動「アラブの春」で当初、民主主義を求める人たちが求めていたものとはかけ離れている。
 

だが、32年間大統領の座にあったサレハ氏がそのまま居座り続ければ、内戦が勃発しかねないと考えた国際社会にとって、ハディ氏を権力の座に就かせるというのは理論的な選択肢であったに違いない。どちらにせよ、内戦は起きてしまったのだが。
 

フーシ派は首都を支配した後、南方へと進攻し空軍基地などを制圧。26日にはハディ暫定大統領が逃れていたアデン近郊で大統領派と戦った。

フーシ派の方針にどの程度イランの影響があるかは分からないが、アラブ世界の大半は、同派がイランの意図を遂行しているとみている。イエメンへの軍事介入でも明らかなように、自分たちの政治問題にこうした曖昧さを存分に生かしている。そしてこれは、イエメンの政治を支配するサウジに対し、イランが挑戦を突きつけた結果でもある。

 
このような外国勢力の関与は、イエメンに悲惨な結果をもたらすことになるかもしれない。サウジの行動が代理戦争であることを証明しているように思えてならない。

すでに緊張が高まっている宗派対立をさらに激化させる恐れがある。現在の中東で強大な潮流をなすシーア派対スンニ派という構図は、昨年までイエメンでは当てはまらなかった。両派は同じモスクで祈りをささげていた。

今はもう、そうはいかない。首都サヌアにあるザイディ派のモスクで起きた自爆攻撃は、対立が深まっていることを示す恐ろしい兆候だろう。
 

*筆者はフリージャーナリスト。2011─12年、イエメンの首都サヌアからニューヨーク・タイムズ紙のために情勢を伝えた。著書に「Don’t Be Afraid of the Bullets: an Accidental War Correspondent in Yemen」がある。(ロイター)

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