■歴史的にみれば聖徳太子、菅原道真、荻生狙徠。そして福沢諭吉
日本が未曾有の危機に直面すると、必ず現れるのが「脱亜論」である
<西村幸祐『21世紀の脱亜論――韓国・中国との訣別』(祥伝社新書)>
福沢諭吉は130年前に警告した。悪友とのつきあいを止めようと提唱した『脱亜論』の動機は朝鮮独立運動を支援し、その過程で背後にいる清の抜きがたい華夷秩序という障害、その時代錯誤だった。日本は、こうした国々とまともに付き合ってはいけない。悪友とはおさらばしよう、と福沢諭吉は言った。
こんにち、日本をとりまく状況があまりにも似てきた。いまの東アジア情勢は、日清戦争前と構造的にはそっくりではないのか。
中国共産党は『抗日戦争七十年記念』と称し、日本を威嚇する目的での軍事パレードを行う。これが中国のいう「新常態」である。まさにニューノーマルとはアブノーマルのことである。
英国はトラファルガー勝利の日に、国家行事を行う。豪とニュージーランドは『ガリポリの闘い記念日』を制定し、祝日とした。軍事パレードもおこなう。ガリポリでは両軍ともに惨敗したにもかかわらず。
日本は日清日露戦争の『戦捷記念行事』を国家として執り行ったことがない。まさに国家の要件を欠く、不思議な、堕落した国家と成り下がった。
西村氏によれば「醜い」、「畸形国家」が日本だという。
『近代化の礎を築いた偉大な日清戦争と日露戦争の勝利を祝うことが出来ないほうが、はるかに醜態ではないか』とする著者はどうしても福沢諭吉の警世の書を持ち出して比較し、なお、この歴史的意義を探るのである。
また筆者に拠れば脱亜論は日本史のなかで四回あったという。
歴史的にみれば聖徳太子、菅原道真、荻生狙徠。そして福沢諭吉という列になり、聖徳太子が遣隋使を使わして隋の煬帝へ送った書「日出ずる処の天子」云々。二番目は菅原道真の遣唐使廃止という英断。そして三番目は江戸国学の台頭と朱子学への訣別、つまり「中世世界からの脱亜」だったという。
たしかに歴史をひもとけば、危機に直面すると現れるのが脱亜論である。新書版ながら中味はぎっしりと読み応えがある。
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