戦後70年に当たり、太平洋戦争の舞台となったパラオを訪れている天皇皇后両陛下は9日、激戦地のペリリュー島を訪れ、慰霊碑に花を供えて戦没者の霊を慰められます。
8日夕方にパラオに到着した両陛下は、空港での歓迎行事やレメンゲサウ大統領夫妻との会見に臨んだあと、夜には歓迎の晩さん会に出席されました。
この席で、天皇陛下は「ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」と述べられました。
両陛下は訪問2日目の9日、一晩宿泊した海上保安庁の巡視船をヘリコプターで発って、激戦地となって、およそ1万人の日本軍がほぼ全滅したペリリュー島を訪ねられます。
そして、生き残った元日本兵や遺族らも見守るなか、日本政府が建てた「西太平洋戦没者の碑」に日本から持参した白い菊の花束を供えて、犠牲者の霊を慰められます。両陛下は、アメリカ軍の慰霊碑にも足を運んだあと、日系人も多い島の住民と交流する機会も持ち、9日夜に帰国されます。(NHK)
■「戦友にも陛下のお声が届くはず」 生還者、遺族、パラオ国民… 晩餐会でのお言葉に深い感銘
天皇陛下が8日夜の晩餐会(ばんさんかい)で、全戦没者の追悼とともに、日本とパラオ共和国の深い交流なども述べられたお言葉の内容に、生還者、遺族、パラオ国民は感銘を受けた様子だった。
「『遺族の歩んできた苦難』と言及していただいた。父も含め、パラオで戦ったすべての人々にとって感慨深い」。ペリリュー島守備隊の村井権治郎陸軍少将の四男、正巳さん(79)は語った。
14歳でパラオに移住し、アンガウル島守備隊に現地召集され重傷を負って生還した倉田洋二さん(88)は、「移住した日本人はパラオの人々と交流を深め」とのお言葉を重く受け止めた。「現地の人々と青春をともにし、戦争がなければ一生住みたいと思っていた私には本当に印象深い。戦友にも、陛下のお声が届くはず」と語った。
一方、遺骨収集についてレメンゲサウ大統領が会見で陛下に「加速」を約束し、陛下も晩餐会でパラオ側の長年の協力に言及されたことに、収集に尽力している影山幸雄さん(70)は「心強い。遺族が生きているうちに最後のお一人まで収容したい」。影山さんに代々協力して慰霊碑も管理してきたペリリュー酋長、イサオ・シゲオさん(76)は「日本名を持つ亡き両親も喜んでいる。ご訪問を機に、ご遺骨収集の進展を望む」と語った。(ペリリュー島=産経・今村義丈)
<a href="http://www.kajika.net/">杜父魚文庫</a>
コメント
陛下が、軍人をふくめ、また、日本人をふくめ、先の戦争で命をなくさらた人たちに哀悼のおまいりをなされてることを、戦争を体験してない政治家をふくむ日本国民は、深く、こころに、絶対に、戦死者をだしてはいけない、と誓うべきです。