19024 大英博物館のガウランド・コレクション   古沢襄

今日から五月。孫は本郷で三年生になったので、本郷キャンパスで開かれる五月祭でも観にいきたいところだが、人の雑踏を考えると二の足を踏まざるを得ない。そうこうしている中に孫は卒業ということになりそう。

四月三十日のブログ・トップ5はワシントンを訪れた安倍首相の関連ニュースばかり。ユーザー数は2万658。夕方五時にはアクセスしてきた読者数は一万の大台を超えて1万403人となった。

①北朝鮮・張成沢氏処刑の真相   古沢襄
②日米の“蜜月”ぶりに苛立つ韓国 古沢襄
③さきの大戦に「痛切な反省」表明 古沢襄
④安倍首相は現米政権11人目   古沢襄
⑤安倍首相米議会演説 全文     古沢襄
 

NHKが「⑤安倍首相米議会演説 全文」をネットで流しているが、この長文の記事を読んだ読者が五位につけている。

新聞やテレビは三位の「③さきの大戦に”痛切な反省”表明」に焦点を合わせていたが、むしろ焦点を合わせるべきは、新しい日米同盟の行方ではなかろうか。中国がどう対応しようとしているのか、の方が気になる。

それはそれとして、五月一日の最初の記事はロンドンの大英博物館に保存されている「ガウランド・コレクション」についてふれたい。

■日本の古墳時代の謎をとく「ガウランド・コレクション」

昨年9月6日から28日まで明治大学博物館・日英共同調査グループの共催で「ウイリアム・ガウランドと明治期の古墳研究」企画展が開催されていた。

長期入院から退院したばかりなので、お茶の水・神田界隈まで出て行く自信がない。ただ北陸に五年いたので、継体天皇や蘇我氏について手当たり次第資料集めをししてきた。

その延長線で日本の古墳時代に人並みの関心を抱いている。といって考古学については門外漢だから、あまり大きなことはいえない。

もう30年近い昔のことになるが、社用でロンドンを訪れた時に大英博物館にも行ってみたことがある。七つの海を支配した大英帝国がカネと力でかき集めた展示品といった程度の認識しかなかったが、古今東西の美術品や書籍、略奪品など約800万点が収蔵されている大英博物館だからさすがに圧倒された。

日本、中国などの展示品を納めたアジア部門があると聞いてはいたが、それを観る時間的な余裕はないまま帰国した。

最近になって「日本の古墳時代の謎をとく鍵が大英博物館にある」(NHK特集)という。それがガウランド・コレクション。

日本の古墳時代は、三世紀半ばの卑弥呼の時代から6世紀後半の聖徳太子の時代までの約350年間なのだが、この時代は巨大な前方後円墳が4700も存在したことで知られている。

この前方後円墳は三世紀半ばにヤマト盆地に出現し、九州や東北南部にまで広がったが、ヤマト朝廷そのものは、むしろ強大な大王たちの総合体にまだとどまっている。

それが大王たちの「私地・私民」から「公地公民」の中央集権国家に向かう大きな改革の動きがこの時期に始まった。

イギリス人のウイリアム・ガウランドは、明治期に大阪造幣局の冶金専門技師として来日しているが、もともとが日本各地にある古墳に関心を持って、古墳調査にからむ数多くの測量図や写真を残している。

帰国して発表された論文が関係資料や出土品(約1000点)とともに大英博物館に保存された。

ガウランド・コレクションが注目されたのは、明治初期の来日だったので、まだ天皇陵に対する宮内庁の立ち入り禁止が行われる前に古墳内部に入って詳細な調査資料を残していた。とくに注目されたのは「丸山古墳」。

古墳時代の石室は後円墳の中心に掘られた特徴がある。ところがガウランドが実地調査した「丸山古墳」の石室だけは後円墳の中心部に存在していなかった。

だから日本の考古学会からは、ガウランドが間違った測量をしたと異論が出された。

ところが1991年、「丸山古墳」の墳丘が崩れ石室の入り口がぽっかりと開いたことから宮内庁が調査した結果、石室がガウランドの調査通り中心部から外れた位置にあったことが実証されている。

ガウランドの測量は正しかったのだが、このことで考古学界では大騒ぎとなった。同時に大英博物館のガウランド・コレクションがあらためて調査の対象と浮上している。

■横穴式石室
 

日本の古墳時代後期に古墳の横に穴をうがって遺体を納める玄室へつながる通路に当たる羨道(せんどう)を造りつけた石積みの墓室が生まれた。「丸山古墳」の石室がその例である。

古墳時代前期の石室は竪穴式の墓室や竪穴式であった。横穴式石室が日本に伝わったのは5世紀、高句麗の影響だと言われている。

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